教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 452回 見張る まなざし 見守る まなざし

運動会の練習、体育の授業で、行儀の悪い子どもたちが先生にしかられています。
先生の目は、大きく見開いて子どもたちに注意しています。
とても厳しい顔です。
もちろん、このようなことも必要です。
決して否定しません。


さらに、事例を追加します。
野外観察実習の時の先生の表情です。
だれか怠けている子はいないか、ふざけている子はいないかを見張っています
監視する目です。試験監督官の眼差しです。
大きく開かれた鋭い目です。


子どもをみるとき、受験会場の担当者の目をしていませんか。
不正を見逃すな。
カンニングはないかなどです。
見張り、監視の目です。
この目は大きく、視線が鋭いです。
子どもたちから見ると威圧感があります。


逆のことを考えます。
さて、子どもたちと一日生活していると、叱りたいこともでてきます。
その時の自分の目のひらきはどうなっているでしょうか。
時には目をむいていることもあります。
そのような時に、私は、子どもたちを見る時、目を細めるようにしてきました。
年寄りが孫を見るような目です。
おもしろいことに、目を細め眺めることで、子どもへのやさしさが生まれます。
これは、私だけかもしれません。


学級会や子どもたちの学習活動において、できるだけ目を細めて子どもたちを見守るようにしていました。
見張りの目ではなく、「見守り」のまなざしです。


先生の仕事をしていると、子どもたちの行動に納得がいかず、腹をたてたくなることがあります。ちょっとした怒りを感じることがあります。
そのような時も、座って子どもたちを見るとき、見張るまなざしではなく、まぶたを細くして眺めるようにしていました。見守りの目です。
すると、不思議なことに落ち着いて子どもたちの活動を見直すことができるようになります。


仏さまの目を思い出してください。
慈悲の眼差しです。
決して大きく見開いてはいません。
少なくとも菩薩様の目は、穏やかなやさしい目をしておられます。
そのような眼差しで、子どもたちと接したいと考えていました。


お寺に参拝することがありましたら、それぞれの仏さまの眼差しに注目してください。
教室で子どもたちと向かい合う時の眼差しのヒントになります。
もちろん、心持ちが大切なのですが、形から考えるのも悪くないと思います。
今日は、つまらない話をさせていただきました。

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