教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 442回 高学年の学習指導  班学習 始まりも終わりも子どもたち

二学期から少しずつ学習を子どもたちで進められるようにします。
そのために、一学期は、各教科の学び方を育てるようにします。
「独りで考えさせてください」
「班で考えさせてください。」
「全体で考えてみませんか」
それぞれの要求や提案が子どもたちの中から出せるようにします。


その核になるのは、班学習(小集団学習)です。
少人数にすることによってお互いの意見交換がしやすいです。
さらに、分担して調べることもできます。
逆に、班の活動は力のある子どもの独壇場になることもあります。


班学習の仕方を学ばせるときに大切なことがあります。


まず、全員の意見を発表してから話し合いに入ることが大切です。
いきなり、話し合いに入ると、発言力の強い子どもが中心になってしまいます。
発言力の強い子どもに、司会の役割を与えます。
友だちの考えを聞く立場に置きます。


班学習の機能は三つです。
合わせる」「補い合う」(助け合う)「分ける」です。
言葉を変えると、「合力」「助力」「分力」です。

子どもたちには、この三つの働きを授業のなかで身につけさせます。


合力・・・班員の考えを集める。班員で一緒に同じ作業をする。
助力・・・困っている友だちに助言する。お互いが得意な力をだしあって助け合う。
分力・・・課題遂行のとき、資料収集を分担する。作業を分けて実行する。


前回にお話ししましたが、班学習を放任していてはいけません。
班で子どもたちに勉強させていると、あたかも子どもたちの活動が意欲的に見えることがあります。
先生の安堵の場所としての班学習になっています。(すいません、そうでない先生もいますので)
「班で考えてごらん」
何をどのように考えたらいいかを指示されていますか。
「班での話し合いは終わりましたか。発表してもらいます。」
班の話し合いの終わりは先生が決めるものではありません。
なぜなら、子どもたちに学習の進行を任せたわけですから、それぞれの班の話し合い、活動は、班員が決定することです。


「3班は話し合いが終わりました」という声があがってくるのを待ちます。
班の活動を途中で、時間がないからと言って先生が勝手に取り上げないようにします。
始まりを任せたなら、終わりも任せます。
それが、子どもたちの主体的な学びです


「先生、班で考えさせてください」
「みんな、班で考えませんか」
「班でもう少し考えたいので時間をください」
このような言葉が授業のなかで自然に出てくるようにします。
そのためには、学習活動を子どもたちに任せたなら、最後まで任せます。
先生が初めから終わりまで学習を引っ張るのでしたら別ですが・・・。

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