教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 441回 高学年の学習指導  班学習への疑い

小集団学習を班学習と置き換えます。
班学習は、先生の目が行き届かないことがでてきます。
「班で話し合ってまとめました」と子どもたちが発言するときに疑問をもつことです。
本当に話し合ったのだろうか。
どのように話し合ったのだろうか。
全員の意見が提出されたのだろうか。
全員の意見がでたのに、そんなに簡単にまとまることなのか。
意見は分かれなかったのか。
ひとつにまとめる時、誰かの強制力は働かなったのか。


班学習の話し合いにおける疑問を一つずつ子どもたちと解決していく必要があります。
「全員の意見を聞いたのですか」
「その時に、友だちから考えをだした理由を聞きましたか」
「最初に全員の考えが出されたとき、全員の考えは同じだったのですか」
「理由も同じだったのですか」
ここまでくると、子どもたちは、自分たちの話し合いに不安を持ち始めます。


「意見が分かれた班がありますね。」
「その時に、全員が納得して一つにまとまったのですか」
納得という点では、班の中の発言力の力関係があるようです。


班で全員が話し合って、「全員わかりました」と、子どもたちが発表しました。
そこで、私は、班の子どもたち一人ひとりに「どんなことがわかったのですか」と尋ねました。
子どもたちのわかったことは、少しずつずれていました。
「話し合ったはずなのに、どうしてみんなのわかったことが違うのですか」と指摘しました。
こうして、全員が分かり合えることの難しさを気付かせました。


班学習は、独りのわかり方、考え方を徹底的に大切にする学び方です。
班で話し合っても最後は独りに立ち返ります。
だから、独りがわかったのか、できたのかを吟味します。
班の話し合い、学び合いは、それぞれの教科の違いのなかで指導していきます。
そして、話し合いは、常に、学習目標に向かっていく、近づいていくことを意識させます。
学習目標に近づかない班学習などの話し合いは意味がありません。
話し合いのための話し合いになっているからです。

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