教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 440回 高学年の学習指導  独り学習を支える 小集団学習

小集団学習の在り方を問題にします。
「班で話し合いなさい」と簡単に先生の指示で学びの形態が変更されます。
子どもたちの中には、どうしていきなり班で学習するのかわからない子もいます。
班での話し合いの大半が先生の都合で実施されることが多いです。


子どもたちが一人で考えられなくなると班で話し合うように指示します。
全体学習の時、子どもたちの意見が少ないと、班で考えなさいと指示します。
先生が自分の学習指導に行き詰まったとき、駆け込み寺としての班学習もあります。
要するに、班が学習の退避場所として位置づけられていることがあります。


学習の基本は、独自学習です。
だれにも頼ることなくできるだけ自分の力で追究することです。
教えてもらったり教え合ったりしません。
もちろん、先生の助言も駄目です。
そのことを前提にして授業(学習指導)を進めます。


小集団学習は、独自学習(個人学習)を強化するためにあります。
決して、全体学習の流れをよくするためではありません。


子ども一人ひとりが課題に取り組むところから始まります。
しかし、この課題を全員がつかんでいないことがあります。
何を求めて学習するのかがわからないことがあります。
そのような時は、個人を飛ばして、小集団でめあてを確認します。
そして、一人ひとりがノートにめあてを書いて理解します。


班の中で「まだ、わかりづらいことがあるかな」「めあてがはっきりしないところがないかな」という話し合いを入れます。これは、できるなら、子どもたちから要求できるようにします。
そして、「先生、今日のめあてを全員で確認させてください」という声が一つの班からあがります。
全員でめあてを確認します。
先生は抜けている点を補います。


決めためあてにたどり着くためには、どのような方法、ルートで実施すればよいかも班で考えます。これは、独りではむずかしいです。
何を どのようにして 学んでいくかを全体で明確にします。
その時も、班員の一人一人に立ち戻って理解しているかどうかの確認をします。


目標と学習方法をみんなが理解した上で、独自学習に入ります。
だれの力も借りません。
しかし、独りで進められることは、子どもによって違ってきます。
その学びの差が小集団学習の原動力なのです。


わからないことをわからないと言える空気を班の中で育てていきます。
最初からできることではありませんが、時間をかけます。
独りのわからなさを仲間としての課題にします。
そして、わからないことを教えてあげるのではなく、助言、ヒントをだして導きます。
得意な子どもたちは、すぐに教えたがりますが、これは、先生によって指導します。
教えるのではなく、「ヒントでピント」くるように助言するのが好ましいと伝えます。


独り学習をサポートするための小集団学習の在り方を考える必要があります。
そして、班学習は、できるなら子どもたちが自ら求めるのが好ましいですね。


次回に続く

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