教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 432回  低学年の学習指導(その3) 静かに聞いて話し手に近づく

今回は学習技能について書きます。
重点的な指導は3つです。
他にも身につけさせたい技能はありますが、これだけはというものをあげます。
その3つとは、「静かに聞く」「元気に話す」「ノートをていねいに」です。
当たり前のことなので申し訳ありません。
しかし、私が低学年、特に一年生を担任して、この3つのことに力を入れてきました。


静かに聞く
低学年は、自分の話を聞いてほしいという気持ちが強いですね。
先生に、聞いてほしいという願いが強いです。
話すことは、「出力」です。「発散」です。
自己中心的な低学年にあっては当然なことです。
一年生を指導した時、この彼らの話したい、聞いてほしいというエネルギーを強く感じました。
私は、彼らの思いを発散させました。
特に、発言が重なり始めたときは、「同時に先生に向かって話しなさい」と言って、口々に話をさせました。
もちろん、すべてを聞き取れるわけがありません。
それぞれの子どもたちを見ながら、笑顔で「うんうん」と頷きなから聞きました。
そのうちに、子どもたちのエネルギーは力を失っていきます。
子どもだましですね。


だまされた子どもたちは、何回か同じことをしていると、ある一人の子どもが言います。
「先生、みんなが一緒に話したら、言っていることがわからないのでは?」
私は「そうなんだ、よく気が付いたね。私の耳は2つしかないから頑張って聞いても2人までかな。もちろん、一人で話してくれたらきちんと聞けるのですが・・・」


これをきっかけにして、子どもたちは、友だちが話しているときに少しずつ発言を遅らせるようになります。
子どもたちは意識して友だちの意見が終わるまで待とうとします。(まだ、待てないのですが)
先生に聞いてほしいので、それなりのマナーを守らないといけないと思い始めます。
聞いてほしいという気持ちが、少し我慢しようという気持ちに変わってきます。


聞くという行為は、自分を押さえることです。
相手を自分の中に取り入れる行為です。
他者との関係を意識していくきっかけになります。
聞くという「聞」は、耳と門から成り立っています。
心の門を開いて耳を傾けることです。
一年生にとっては難しいのです。
だからこそ、静かに聞くことを通して、「待つ」「すこし我慢」の姿勢を育てるようにします。


終わりまで聞く
友だちの話をおることが多いです。
最後まで聞かせるようにします。
一人の子どもが発言しているときに、他の子どもたちが入ってきたら、先生はストップをかけます。
「〇〇さん、ごめんね、今、Aさんの話を最後まで聞きたいので、もう少し待ってね。
 このあとは、あなたに話してもらいます。予約ですね」と伝えます。
子どもたちは、自分の話も最後まで聞いてほしいので、友だちの話を先生が聞いているときにがまんしようと思うようになります。


やがて、わからないことを聞き返すようにします。
2年生になると、聞いてよくわからないとき「よくわからないのでもう一度言ってください」と言えるようにします。



次回は「元気に話す」を取り上げます。

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