教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 433回  低学年の学習指導(その4) 元気に話す 返事と挨拶

前回は「静かに聞く」ことについてお話しました。
今回は「元気に話す」についてです。


「元気」という言葉を入れるのは「気後れせずに」という意味あいがあります。
低学年の話すことの指導は「返事」と「挨拶」です。


返事
名前を呼ばれたら、気後れすることなく「はい」という言葉で押し返します。
高学年になっても「はい」という返事がはっきりと言えない子どもたちがいます。
返事は「呼びかけられて相手に応じ返す言葉」です。
学校では、この返事を反射的な反応として教えていることがあります。
名前を呼ばれたら返事しなさいと指導されています。
返事は、当人の心の様子を表しています。
また、心の伴わない返事には力がありません。


なぜ、返事するのかという根拠は示されないことがあります。
Aさんと呼ばれて返事するのは、「私はまちがいなくAという人間である」とメッセージを送ることですね。自己主張です。自己アピールです。
だから、元気に返事できるようになるのは、その子が自分に自信を持っているとき、持ち始めているときです。


毎朝、朝の会は、呼名と返事、そして、挨拶だけです。
一人一人の名前を気持ちをこめて呼びます。
そして、返ってくる返事について、先生はコメントします。
できるだけ短くします。
「おお、いいねえ」「元気あふれているよ」「もっと元気になれるよ、明日が楽しみ」
「昨日、いい事があったのかな」など、その子どもに応じてコメントを考えます。
決して、否定的なコメントはしません。
子どもたちが返事をするときに気後れしないようにしていきます。


最初から一人ずつ呼名するのもいいですが、その前にワンクッションおきます。
「一班の仲間」「二班の仲間」・・・班で一斉に返事をさせます。
こうすることで、雰囲気が盛り上がってきます。
声の小さな子どももつられて大きくなってきます。
呼名したときの子どもの様子を記録に残していきます。
声の大きさ、声の張り、表情の明暗など気づいたことを記録します。
記録したものは、一週間単位で振り返り分析します。


挨拶は身近な仏教用語です。
挨拶の「拶」(さつ)は「推しはかる」「近づく」「触れる」という意味があります。
挨拶の「挨」は「迫る」「切り込む」という意味です。


学校での挨拶指導は、先生が「子どもに近づいて迫っていく」ことです。
迫っていくとは、子どもに挨拶を返しなさいということではありません。
子ども気持ちを推しはかり、子どもの心に寄り添っていくことです。
ですから、子どもによっては、小さな声で挨拶をしたり、声を出さないで挨拶をしたりすることもあります。
挨拶は声をかわすことではありません。
相手の心のとびらをノックすることです。
お互いの眼差しと笑顔を共有することです。
よく学校で実施される「挨拶運動」はあまり意味をなしません。
心が寄り添わない言葉だけの挨拶になっていることが多いからです。


「はい」とか「おはよう」と言う言葉は、自分の中の「気のエネルギー」を自分で引き出すことです。
「気」の「元」になるものが「元気」です。

×

非ログインユーザーとして返信する