教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 428回 長期不登校児 その(4)  子ともたちの温もりが応援歌

前回に続きます。


彼女は放課後の教室に出入りするようになりました。
こうして、5月の半ばになりました。
私は、そろそろ彼女は友だちのいる学校に顔を出したいのではと考えました。
教室に掲示している友だちの絵や習字、係の活動の様子がわかる教室を立ち止まって見入るようになったからです。


ある時、私は一つの提案をしました。
「あなたの好きな勉強だけ顔をだしてみないかな」と伝えました。
そのようなことができるのかと不思議そうな表情をしました。


彼女は、図工と音楽の時に登校してもいいかと私に尋ねました。
私は、彼女に「自分で決めたらいいよ。いやになったらやめたらいいのだから。」と言いました。
大切なことは、彼女の意思で選択することでした。
いつでもやめたらいいという逃げ道をつくることも必要でした。


5月の末に、母親から電話がありました。
明日から学校に行くということでした。
音楽と図工だけです。
教科については、やがて、国語にも入るようになりました。
読書好きな彼女にとっては、入りやすい教科でした。


彼女が登校することになった前日、私は、子どもたちに伝えました。
明日から、彼女が図工と音楽の勉強に参加することを伝えました。
子どもたちは大変驚きました。
一年間以上、登校していなかった友だちが教室に姿を現すことに興奮していました。


しかし、これが問題なのです。
彼女を熱烈に歓迎することがいけないのです。
それは、学級の仲間として特別扱いをすることになります。
彼女は緊張します。
教室に入る彼女を空気のような存在(むずかしいですが)として受け入れられるように指導する必要がありました。
ゲスト扱いはいけません。


母親には、以前から、登校をせかさないように、何も言わないでほしいことをお願いしていました。
校門まで付き添ってもらい、そこからは私が教室に連れて行きました。
全員が静かに自己紹介をして授業に参加しました。
その授業が終わる時間に母親に迎えに来てもらいました。


このようにして、教科を増やしていきました。
6月中頃には、午前中の授業と給食を食べてから下校しました。
こうして、一学期の終業式まで登校するようになりました。
2学期、運動会や音楽会もあったことで、最後まで授業に参加しました。
ただし、彼女の意思を尊重して、午前だけ、終日参加を選択させました。


彼女は、絵がうまかったので全員の顔を書きました。
それを教室に掲示しました。
自分の存在感をアピールできる場になりました。


彼女を支えたのは、周りの子どもたちの温もりです。
その温もりが彼女を動かしたようです。
子どもを育てるのは、やはり子どもたちなのです
先生は、黒子に徹することです。

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