教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想427回 長期不登校児(3) 先生の思いは引っ込めて ゆっくりと 実が熟すまで


前回に続きます。


友だちのいない教室から始めます。
5月の連休が明けると、私は、次の段階に進めました。
彼女に、放課後、教室に遊びに来ないかを打診しました。
彼女は少しためらいました。
「放課後、教室には誰もいないからどうかな」と勧めました。
彼女は承諾しました。
母親に付き添われて、放課後、他の子どもたちが下校した時間を見計らってやってきました。
教室に入るや否や、彼女は、自分の座席や掲示などを懐かしそうに見ていました。
教室においてあるオルカ゜ンを見て、そこに座りました。
「弾いていいよ」と勧めると、彼女は片手で鍵盤を押さえていました。


この時、保護者は校長室で待機していただきました。
保護者が一緒にいると、登校するように勧めると考えたからです。
余計なプレッシャーはかけないようにします。
30分程度の時間でしたが、彼女の目には学校が新鮮に映ったようです。
それ以後、3回ぐらい放課後にやってきました。
自分から教室に来たいと思ったら連絡するように伝えただけです。


彼女が放課後にやってきたときに私が危惧していたことは次のことでした。
廊下で会う先生から「〇〇さん、よく来たねえ。学校に来たらいいのに」という励ましの言葉です。
励ましの言葉は、彼女を追い立てることになります。
彼女の行動の変化をほめてはならないのです。
褒めてしまうと、それ以後登校しないようになると考えました。
あくまて、彼女が登校しても空気のような存在として接することでした。
特に、学校長には「彼女が登校したら、えらいねえ、頑張ったねという言葉をかけないように」とお願いしました。


彼女にとって、周囲の自分に対する期待は圧力なのです。
亀が歩くように、自分の力で首をだして、手足をだして歩きたいのです。
不登校児の心は、私の経験から言わせてもらうと、他の子ども以上に、心にはマグマが渦巻いています。その吐き出し口が見つからないだけです。
生きる不安が自信に少しずつ変わるように見守ることしかできません。
前からひっぱるような指導はだめです。
見守りながら、彼女が援助を必要とする時にサポートします。
見守って 待つ。
先生の思いは引っ込めて ゆっくりと 実が熟すまで 見守ります。
次回に続く

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