教育随想 422回 豊かな心をもつ先生の姿 温かさと細心さ
「豊かな心」という文言は、多くの学校において掲げられている言葉です。
学校要覧に目を通すと、しばしばこの言葉が目に入ります。
これは、めざす子どもに対する目標です。
あいまいな言葉です。
私は、子どもよりも先生自身が、指導者として育てなければならない心だと思います。
私は一つの努力目標として、自分に課してきましたが、なかなか難しいことでした。
その反省の意味をこめてお話します。
「豊かな心」を考える時、二つの局面を考えます。
それは、「温かさ」と「細心さ」です。
「温かさ」とは、別の言葉で言えば、次のような言葉ではないでしょうか。
温かさとは、「子ども好き」「人間好き」と言えます。
微笑みをもって子どもたちを見守ることができます。
先生としての人間が、子どもである人間を根底において「好き」でなければなりません。
もちろん、子どもに対して、表面的に好き嫌いはあります。
しかし、それは子どもを捉える入口であって、子ども全体ではありません。
好き嫌い、偏見を超えて、子どもの良い所を見つけようとする温かさです。
どのような子どもにも、必ず良い所があると信じている温かさです。
先生の先入観で子どもを捉えるのではなく、子どもの身になって子どもの声を聞くことです。
次に、必要なことは、「細心さ」です。
子どもの言葉から子どもの心に入ると同時に、子どもの言葉のみに左右されないことです。子どもがいつも正直に自分を語るとはかぎりません。
問題とされる子どもほど、言葉で先生をかく乱します。
言葉で自分の心を覆い隠します。
子どもは、経験のなかで先生、大人を信じられなくなっていることがあります。
しかし、そのような状況にあっても、子どもの心の奥にある気持ちを見抜く細心さが求められます。
子どもたちの動きを見逃すまいとする細やかさが必要です。
子どもが言葉で語るのは、自分の心を表現するときの三分の一です。
それ以外は、表情、目の動きに表れます。
さらに、子どもの心は体の末端に表れます。
手や足の動きです。
試しに、授業参観される時に、子どもたちの机の下の足の動きに注意してみてください。
低学年ほど、足に子どもの動きが表れています。
細心さは、一人ひとりの子どもたちの潜在的な良さを見抜くことができます。
「温かさ」と「細心さ」とを兼備した先生が、本当に子どもたちを受容し、支持、支援する技術を身につけられるようになるのではないでしょうか。