教育随想 423回 先生の誠実な心 明るさ 謙虚さ
誠実とは「言動にうそ、ごまかしがなく、常に良心の命ずるままに行動する様子」
(新明解国語辞典より)
先生の誠実さがどのようなことを言うのかが書かれています。
これを読むと、私は、正反対の先生であったということがわかります。
子どもの前で、その子によかれ良かれと思ってついたうそがどれだけ多いか。
授業のなかで、うまく説明できないときに、強引にごまかしたこともあります。
誠実な先生とはほど遠かったです。
子どもたちとの生活、学習のなかで、正直でありたいと思って実践してきましたが、なかなか理想どおりにはいかないものでした。
子どもたちと対等でありたいとは思いつつ、へつらうこともありました。
そうすることで、子どもから良い評価を得たいと思うからでした。
先生として生きることは、自分自身を生きることでした。
子どもたちを前にすると、自分のいたらなさや偽善的な面が浮かび上がってきます。
やはり、自分を内観することをとおしてしか子どもたちと関わりあえないのです。
子どもたちは、私自身を映しだす鏡です。
子どもたちと活動することで、自分の不誠実さが見えてきます。
それらのことを根底におきながら、先生の誠実さを考えますと、おおきく分けて「明るさ」と「謙虚さ」だと思います。
明るさは先生が学級のリーダーとして、身につけなければならない資質です。
学級という集団のなかで、先生が一番明るいことです。
「元気さ」「行動的」「率直さ」「微笑み」を養う必要がありました。
先生、それぞれの性格がありますから、すべてを達成することは無理です。
ただ、はっきりと言えることは、先生の振る舞いによって、学級やそれぞれの子どもたちが明るくなることです。
そのためのアプローチは先生によって違います。
私の場合は。「元気さ」と「行動的」な面を育てました。
その時、子どもの誰よりも元気で活動できるようにしました。
「謙虚さ」は、物事に対する反省心です。
自分がまちがったり失敗したりした時は、「ごめんなさい」とすぐに謝る心です。
学級の中でたちよりも先生が一番多く使う言葉は「ありがとう」「ごめんなさい」です。
決して、その原因を子どもたちのせいにしないことです。
先生自身が己に厳しいことです。
私のように誠実さにかける人間にとっては、自分の言動を振りかえる態度が大切でした。
先生として優秀ではない私のような者は、せめて、反省する心を忘れないで、子どもたちの前でも謙虚に認めていくようにしました。