教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 421回  授業者は まず、教材を楽しみましょう

その教材に対して、どれだけの研究をしたか。
一般的には、教材研究をするとき、子どもたちの姿を念頭において研究することが多いです。
子どもたちにとってわかりやすい、わかりにくいという視点。
子どもたちに興味関心があるかどうかという視点。
子どもたちにうまく教えられるかという視点など。
常に、子どもの学びを考えて教材を研究しています。


私は、教材(教える材料)ではあるが、私自身にとって大切な研究材料です。
私は、子どもの姿を抜きにして教材に向かいます。


国語では、何度も読み直します。(ひと月前から毎日読む)
私がその物語を好きになるまで読み直します。
読み直して心にひっかかるところに毎回、線をいれていきます。
先生が嫌いな教材を子どもたちに教えても、子どもが好きになることはありません。
評判の良くない教材であっても、何度も読み返していくうちに、おもしろくなるから不思議です。
そして、物語文から自分なりの作品の主題、人物像を読み取ります。
主題は一つとはかぎりません。思いつくままメモします。
そして、その作品が好きになるまで読みます。
ですから、教科書は枕元において寝る時、起床時に読みます。
一週間ぐらい続けると、今まで見えなかったものが作品から浮かび上がってきます。


算数では、教科書を読んですべての問題を解きます。
ノートに写して解きます。
教科書の挿絵からもいろいろと想像して楽しみます。
自分で算数ノートをつくって書いてみます。
その教材に関係のある中学、高校の数学の教科書を読みます。
そうしているうちに、数学の問題を解くのが楽しくなります。


理科では、その教材の背景にある科学的概念について学びます。
小学校の理科は、科学史をたどっています。
物の重さとは、熱とは、つり合いとはなどが歴史的にどのような過程を経て発見されてきたかを科学史をもとにするとわかりやすいです。
高校の参考書も読み直します。
植物や動物がでてくると、専門的な参考書を紐解くようにします。
ただ、知ることが楽しいからです。
野草でしたら実際に散策してその植物の姿を見つけます。
自分の知らないことに興味を持つようにします。
理科実験では、学生時代から実験室に出入りしていましたので、放課後、遅くまで実験をしていました。教科書から発展する実験が多かったです。


決して、子どもに教えるためではありません。
先生が一人の人間として教材に身を沈めることが大切だと考えていました。


社会では、実地見学によく出かけました。
車で全国を駆け巡りました。
九州の吉野ケ里遺跡、青森の三内丸山遺跡、その他、縄文遺跡などをめぐりました。
実際に古墳や遺跡の前に佇んで、古代を自分なりに想像するのが楽しいのです。
旅行のときも、必ず遺跡、博物館を入れました。
今はネット動画もあるので、比較的研究しやすいかもしれませんが、実際に見学する方が体で納得するものがあります。
中学年の郷土学習の教材では、必ず、その史跡や資料館に出かけました。


私にとっては、子どもたちに教えるよりも自分が学んで楽しむことが大切でした。

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