教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 398回 話し合いの育て方(4) 先生への偏見をなくそう

話し合い、特に挙手なしでの話し合いを目指しました。
できるだけ、日常の話し合いに近づけることがねらいでした。
最初においては、発表の話型を入れますが、やがて、段階的に取り払っていきます。


前回、リーダ―中心の話し合いから始めると言いました。
話し合いのつなげ方、つながり方を他の子どもたちに参観させます。
挙手している子どもたちだけで、起立させて話し合いをさせます。


続けることで「話し合い」になります。
「発表」ではなくふつうに「会話するように話す」ことを目指していきます。
どのようにするかは、回を追ってお話します。


さて、中位の子どもたちを話し合いに参加させるようにします。
彼らが参加にしり込みをするのは、間違ったり、言い表せなかったりすることが不安だからです。
また、今まで発言を間違えると、友だちから「違います」「おかしいわ」と言われたことがあるようです。
もちろん、自分の発表内容を頭のなかでまとめてから表現することは大切です。
しかし、それは難しいことです。
私たち大人でも、話し合いや会話に参加するとき、事前に頭のなかで整理してから言える時とそうでないときがあります。


そこで、次のような指導をします。
子どもたちの発言に対する不安を軽減します。
子どもが間違った答えを言います。
周囲の子どもから「違うわ」「おかしいわ」と不用意な発言が出る前に、先生が受けて立ちます。間髪いれずに受け止めます。
先生が、そのまちがった意見を優しく、嫌な顔をせず受け止めます。


人間は心が表情筋や眼差しに表れるものです。
間違えた子どもは、先生の顔を覗き込むように見つめます。
その時がチャンスです。
叱ることなくていねいに是正、補足をします。
発言が途中で止まってしまったら、あとは、「こういうことが言いたかったのではないかな。」と補足します。
話し合いの流れの中に入れるようにします。
学習に参加しているという気持ちを持たせます。
こうして、どのような発言でも先生が補足、是正してくれる安心感が芽生えてきたらしめたものですね。


子どもが話し合いに参加するようになると、学校生活そのものに活発さが出てきます。
進んで意見を出したり質問したりするようになります。
先生の子どもとの関わり合いを他の子どもたちは見ています。
間違えたとき、言い足りなかったときは、先生のような言葉で接したらいいことを学ばせます。
これが話し合いの原型になります。


もう一つの指導です。
子どもの発言に対する不安は、先生への偏見です。
あの先生は「まちがったら怖いかな」「うまく言えなかったら嫌な顔をするかも」
「つまらない質問をすると、拒否されるかも」と、いろいろな不安を持っています。


そこで、先生は、休憩時、給食時、放課後を利用して、できるだけ彼らと接するようにします。
廊下でも子どもの質問を受けます。
ここが重要です。
先生は「わからないことがあったらいつでも来ていいよ」と言いながら、子どもたちが質問すると、今、忙しいからあとでね」と対応します。
「いつでも来ていいよ」と言ったなら実行します。
先生にとって話しかける子どもはその他大勢の一人であっても、その子にとって先生は「私の先生」です。


このようにして、先生に対する不必要な偏見を取り除く努力をします。
これが第2段階の指導です。

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