教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 397回 話し合いの育て方(3) リーダー中心の段階

先生の質問に答えるのは、一部の知能に恵まれた子どもです。
あるいは、前もって知識を持っている子どもです。
大部分の子どもは、彼らの答えを聞く方にまわります。
自分から積極的に発言したり質問したりすることはありません。
彼らは、授業の傍聴者であり参観者です。
自分ひとりが発言しなくても学習は進んでいきます。
映画館で映画を目や耳で追いかけるようなものです。


初期においては、リーダ―的な子どもたちが学習の場に大きく存在します。
この時期に先生が、その子たちの挙手だけで授業を進行させると授業は平坦なもので終わってしまいます。
授業者は自分の期待する発言を子どもに求めます。
彼らは、ふだんからできる子どもたちです。
先生の授業後の感想のなかで、
「子どもたちが私の考えていることを発表してくれました。」
だれの学習でしょうか。主人公はだれでしようか。


指導の初期において大切なことがあります。
理解事項の一つ一つにわからなかったことを言わせることです。
言い方を変えると、一人一人のわからなさに応えるということです。
わからない子どもたちを先生はていねいに確認します。
そして、その子どもたちにていねいに説明します。
子どもたちからみると、先生は自分たちのわからなさを大切にしてくれているという実感をもてるようにします。
授業進度が遅れても、わからない子どもたちのために指導時間を確保します。


また、この時期の留意点として
「わかりましたか」・・・「はーい」
「わかりましたね」・・・「はーい」は撤廃します。

先生は、わかったかどうかを直接たずねるのではなく、違った質問によって確かめます。
子どもたちの表情から理解の有無を読み取ります。
「わかりましたか」と先生に言われて、「わかりません」と言える子どもたちが何人いるでしょうか。


子どもたちの理解が不十分だと察知したなら、別の視点から説明をします。
具体例をあげて説明します。
授業者は、子どもたちの理解困難点を予測します。
それを乗り越える手立てを三つは考えておきます。
一つだけの指導、説明で押し切らないようにします。


もう一つ大切なことを話します。
先生が子どもたちに完全解答を求めないことです。
言葉で表現しにくい子どもは後ずさりします。
自信のない子どもは、表面に出てこなくなります。
たとえ、まちがっていても最後まで聞きます。
その子どもは、正しいと思って発言しているのですから、その気持ちを受け止めるようにします。
特に、「それは違うでしょ」という先生の言葉は、子どもにとってはきついですね。
「なるほど、そのように考えたのだね。」
「どこから、そのように考えたかを聞かせてくれないかな」
このような言葉で、子どもたちを受け止めるようにします。
先生は、授業の進行だけを意識していると、そこからそれる子どもの意見をしりぞけようとします。


このようにして、話し合いを育てるための1段階が終わります。
次回は、2段階に入ります。

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