教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 383回 「ごんぎつね」ごんを悪者にしない

また、「ごんぎつね」と再開しました。
ごんと出会うたびに、ごんの見方が少しずつ違ってきます。
指導者の年齢と体験、価値観の変遷によって、物語文(小説も含めて)の解釈が微妙
に違ってくるものです。
ですから、指導書なるものにぶらさがっていては、授業者としての力は育ちま
せん。
どんなに拙くても、自分の力で読み味わうことです。
そのあとで、参考書を読むようにします。
参考書が最初から指導書にならないようにします。
あくまで「参考」にするのが「参考書」です。


「ごんぎつね」を取り上げます。
その解釈については、以前に「教育随想176回から184回」の9回にわたって書
いています。
今回は、一時間の指導についてお話しします。


1場面前半できります。その本時目標です。
「一場面の前半を読んで、ごんをとりまく環境と人物像を読み取ることができる。」
授業における物語文の指導は、段階的にていねいな指導をしません。
子どもたちの読めるところをできるだけ扱わないようにします。
子どもたちが読めない部分に光をあてるようにします。


一場面の前半では、「ごんはどんなきつねですか」という発問で始まることがありますが、これでは、子どもたちの関心は高まりません。なんとなく読んだらわかるからです。
そこで、次のようなところから入ります。


ごんはどうしていたずらばかりをしたのですか。
いたずらしたことを整理してみよう。
全体で
「夜でも昼でも」「ほり散らかす」食べるわけではない
「火をつける」「むしり取る」食べるわけではない
「いろんなことをした」➡他にどんなことをしたか.


①いたずらしたわけをノートに書く。
②理由を発表する。➡板書
③出し合った内容について話し合う。
★ここで大切なことは
 ごんのいたずらを通して悪いきつねというイメージをもたせないことが重要で
 す。もたせてしまうと、後の話が成立しなくなります。

「悪いから殺されても当たり前」という最後の結論になってしまうからです。
ごんのいたずらする理由を考えていくと、ごんの住んでいる場所が関係してきます。
私の教材解釈より抜粋・・・・・
小さなおしろ」城下町。人間が集まっている場所である。
そこから「少しはなれた山の中」にごんがいた。
ごんの住みかは、人の集まりから遠く離れているわけではない。
人間が怖ければ、山奥にすんでいるはずだ。
「ずっとはなれた所」「すぐ近く」の間ぐらいに住んでいるごん。
対比することで、ごんの人間に対する距離感がわかる。


「ひとりぼっちの小ぎつね」はどんなところに住んでいたのか。
「しだのいっぱいしげった森の中」「あなをほってすんでいました」
あまり日のあたらないじめじめした場所。昼間でも薄暗いのだろう。
しだは、穴の前に垂れさがっている。
外からは、中が暗くてみえないが、中からは外がすけて見えている。
賢いきつねである。


その森の中に、ごんはあなをほってくらしている。
ごんのひとりぼっちの様子がわかる。友だちがいない孤独。
    森の中➡いっぱいのしだ➡あなの中・・・・・


ごんの環境を問題にすると、子どもたちからは次のような意見が出てきます。


・ひとりぼっちの小ぎつね
 ・いたずらばかりするきつね
 ・さみしいきつね
 ・友だちがいないきつね
 ・人間に近づきたいと思うきつね


ごんのいたずらを共感的にとらえさせることが重要です。



一場面の中心になる文を取り上げます。
そこを問題にすることで、物語文の前後を読まざる得なくなります。
「いたずらばかり」の内容を問題にします。
その理由を考えると、ごんの生活環境が背景にあることに気づきます。
ですから、この場面の中心課題は
ごんは、どうして「いたずらばかり」していたのでしょうか。
ということになります。
このようにして、各場面には、核になる課題、発問があります。
その発問をすることで場面全体を問題にすることができます。
それは、子どもが読めていないところでもあります。


一場面でも、いたずらの内容はわかっていても、それをごんの住環境とつなげる
読みはできていない子どもが多いですね。

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