教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 382回 学級通信は 帰宅する子どもの姿そのもの

「ただいま お母さん、今、帰ったよ」
玄関のドアを開ける帰宅した子どもたちの姿。
「今日ね、とても楽しいことがあったんだ」
「今日、ぼく、算数の時、ほめられたんだよ」
「体育のマット運動で、上手だと先生が言ってくれたよ」


帰宅する子どもの姿は、今日一日の学校生活を反映しています。
時には、うつむいてとぼとぼと帰宅する子どもがいます。
きっと学校で嫌なことがあったのでしょう。
これら帰宅する時、玄関のドアを開ける子どもの姿が「学級通信」です。


保護者は、その時の子どもの笑顔、明るさを通して学校生活を想像します。
学級通信とは、子どもたちの生の姿そのものです。


保護者は子どもの姿をとおして学校に足を運びます。
保護者は、子どもの楽しそうな姿を見て、一体どんな学校生活をしていのか気になって授業参観に足を運びます。
もちろん、その反対もあります。
子どもの姿に元気がない、どんな学級、先生なのかを確かめたくなります。


先生は、毎日のように、子どもたちを家庭に送り届けています。
一日の学校生活が終わり、教室を退出する時の子どもたちの表情を見てください。
登校時の表情と比べて見てください。
元気な姿で帰っていますか。
「先生、また明日ね」と笑顔で学校を後にしていますか。


そうして観察していると、どうしても気になる子どもが出てきます。
私は自宅に帰って一日の子どもたちの表情を思い出し書き留めました。
その時に、どうしてあの子は、少しくらい顔をしていたのかを考えます。
思い当たることもあります。
全くわからないこともあります。


次の日、その子を一日、追いかけます。
子どもに始まり子どもで終わります。
教育という営みは、どこまでも個々の子どもたちです。
一人ひとりを大切にという言葉はとても重い言葉です。
一人ひとりとは、あなたであり彼なのです。

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