教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 38回 先生の 指導力と感化力

低学年では、学習に対して意欲を見せますが、高学年になるに従って、学習に対する意欲も関心も放棄した子どもが多くなっていきます。
子どもの顔も高学年になるほど暗く、陰鬱な表情を見せることが多くあります。


先生の顔色はどうでしょうか。
朝から帰りまで子どもの前で仏頂面をして、果たして学習効果があがるものでしょうか。
先生も人間ですから日によって体調の変化もあるし、プライベートで辛いこともあります。
そのような時に、どうしても、だすまいと思いながらも表情にでてしまうことはあります。「先生、今日は元気がないね」と言われることもありました。


子どもたちは、学習について、どのように感じ取っているものでしょうか。
経験の中で言わせてもらいますと
①その一時間がおもしろいからつい時間を忘れてしまった。
②先生の指示のもとに強引にさせられているという感覚。
③黙っていれば自然に学習が終わっていく。
④時間がくれば終わるのが授業である。


テレビのスイッチを入れると、視聴者の意欲に関係なく番組が進行していきますね。そのような感覚が授業を受ける子どもたちにあります。発表もしなければ、とりわけ大きな反応をしなくても、チャイムが鳴って学習は終わるものだと感じている子ども。
きっと中学、高校にいくほど、そのような態度が多く見られるでしょうね。


自分で質問して子どもが答えてくれなかったら、自分で正解をだしているという先生の授業。
そのような場合は、子どもたちは黙って座っておればいいことになります。勉強が得意な子どもが挙手して、その子たちを頼りに授業をしている学級においても、勉強のいやな子どもは座っているだけで時が流れていきます。


先生の口による教育。
指示、命令、賞賛と説教のみで授業を進めていると、子どもたちは先生の顔色を読みとって動くようになります。


先生の力は大きくわけると二つあります。
引力
子どもを引きつける力、子どもの学習意欲を高める力です。
そこには、先生に対する尊敬と信頼が生まれます。


斥力(せきりょく)
子どもを遠ざける力、子どもを学習拒否に追い込む力です。
そこからは先生に対する子どもの不平と不満が生まれます。


この先生の持つ引力を教育力と考えます。
そして、教育力は、指導力と感化力です。
感化力は説得力でもあります。
この感化力は、先生の識見、人柄等、授業の表面に顕れない潜在能力です。
同じ指導案、発問、質問で学習指導を同じ学級で実施しても、その学習効果がちがってくるのは、この感化力です。
目に見えないものが先生の言葉や体を通して、子どもたちに流れているものです。


感化力は自己教育していくしかありません。
日常すべてが自分の修行の場として実践していくしかないと思います。
難しいことですが、少なくとも、やっていこうという意欲(結果はどうであれ)が子どもたちに伝わっていくように思います。

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