教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 377回 教育の成果は コロナ社会の中に具現化

楽しく学ばせないと子どもたちは興味関心を持ちません。
指導者は子どもに忖度して指導の仕方を変えます。
子どもに難しさの壁をつくらないようにします。
苦労しないで、短時間で、効率よく学ばせるようにします。
指導案を検討会、「ここで子どもがつまずかないように」と。
前もって、道を覆った雪をかき分けておきます。
子どもたちは、雪がなくなった道を歩きます。
その結果、子どもたちは、いつも誰かが助けてくれると思います。
自己中心的な依頼心を育ちます。
自分がだめなのは、親が悪い、先生が悪い、社会が悪いと訴えます。


このたびのコロナの問題は、個人的な欲望の発露になっています。
言いたいことを怒りの感情にのせて訴えます。
物不足になるとリーダーへの不満を募らせます。
誰もが経験していない事情のなかで、至らないことが多くあるのは当たり前のことです。
周りの人への気遣いを忘れがちになっています。
国民も政治家も共に気遣いながら力を合わせて乗り越えようという意識が小さいようにも思えます。
為政者の不手際ばかりを批判して自己努力を怠っていることもあります。


人間は、自分の欲望を満たしてくれる人を求めています。
これは本能的なこととして当たり前の事です。
ただ、その結果、社会に潤いがなくなっていきます。


今はネットで誰もが総理大臣、知事になっています。
為政者の政策に批判するだけのコメンテーターが多いです。
具体的に事案をもって批判すべきです。
具体的に行動しないでテレビの中だけで世相を批判しています。
私は、テレビのスイッチを入れることはほとんどなくなりました。


困難な状況がおこるなかでこそ、主体性が必要であるはずです。
だれのせいにするのではなく、自分で切り開くたくましさが大切です。
教育の成果は何年もたったあとに表れます。
今の若者は依頼心が強いとか忍耐力にかけると言われるたびに、その責任の一端は、私も含めて親や教育に携わった者の責任です。
教育は短時間で効果が表れるものがありますが、本当は、その人の生涯にどれだけの影響を与えることができたかです。


子どもの話からコロナの話になってしまいました。
今の社会の様子を見つめて、教育者として親としてすべきことがあるように思います。
それは、いますぐに効果が表れるようなものではありません。
子どもたちが大人になった時に、体や心にわずかに残っているものが大切です。
考え方や感じ方の源になっているものが教育のかけらです。
成果という大げさなものではありません。


子どもたちに学習を通して育てようとしていることは何でしょうか。
目先の知識だけですか。
学習効果をあげるためのものだけでしょうか。
優しさ、忍耐力、主体的に解決する力・・・いろいろありますね。
そのように考えると、学校教育活動、学習指導の中に、何を大切にしなければならないかが見えてくるように思います。
最後に、教育の成果のマイナス部分を取り上げましたが、ブラス面もあったことも付け加えます。
日本人として・・・。

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