教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 367回 授業 学習に意欲的な子どもの指導

授業を子どもの「ものの考え方」や「意欲」と切り離して考えることはできません。
子どもたちが本来、内に持っている「生き方」や「考え方」を大切にして、教科の独自な活動の中にそれらをうまく生かしていくことがねらいです。
授業を構成するとき、教材の理解過程だけを問題にしません。
それぞれの学習過程において、最も気になるのは、現在の子どもたちの学習意欲です。


勉強に取り組む姿勢の問題
したがって、後ともたちの学習意欲を的確にとらえることが必要です。
どの教科においても学習意欲があるかないかという問題。
特定の教科においては学習意欲をしめすが、他教科においては意欲が低下
するという問題。


学習意欲を4つのグループに分け
A段階 学習意欲が旺盛なグループ
B段階 ふつうと見なせるグルーブ
C段階 低下しているグループ
D段階 全く乏しいグルーブ


今回は、A段階 学習意欲が旺盛なグループについてお話します。
次回から順次お話します。


どの教科にも前向きに取り組んでいます。
この段階の子どもたちは、先生の指導力に関係なく勉強します。
担任が変わっても関係なく勉強している子供たちです。


だからといって、彼らを放任していると退屈してきます。
彼らは、競争を好みます。
学習場面で、友達と競争させると意欲的になります。
特に、学習塾に通っている子どもたちは、学校の授業内容は復習になります。
競争原理を一部取り入れることは、彼らを退屈させません。


一番先に挙手して、自分はすでに知っているということを誇示する子もいます。
計算の学習では、速くできることに意欲を燃やす子もいます。
復習になっている授業において、自分の楽しみを見つけようとします。
時には、先生の説明に対して、異論をとなえるのも彼らです。
先生を質問責めにする楽しみをもつ子もいます。
特に、先生が新任の先生の時は、質問責めにすることがあります。


しかし、それを責めてはいけません。
彼らは、授業のなかで取り立てて指導を受けたことがありません。
ある意味では、あまりかまわれていない存在です。
指導が入っていない子なのです。
すでに理解している学習内容のなかで、自分なりの楽しみを見いだそうと頑張っています。
やはり、彼らを指導する必要があります。
彼らに役割を与えます。
「自主」の場面での役割があります。
それは、彼らのノートづくりです。
学習内容を効果的にまとめています。
逆に、乱雑なノートの使い方をしている子もいます。
模範的なノートを率先して公開させます。
自分の得意な教科において、子迂回させます。
すると、自分のノートの使い方をさらに努力して工夫するようになります。
予習、復習ノートを公開させることで、他の子どもたちの参考になります。
ノート指導の決め手は、学習意欲のある子どもたちにあります。


「協同学習」の場面で役割を与えます。
簡単なところでは、わからない子どもたちをサポートさせます。
友達に教えていくうちに、自分もわからないところがでることがあります。
逆に、友達をサポートすることで、自分の理解の仕方が曖昧であることに気付いたらしめたものです。
「わかる」ことの難しさを学ばせるようにします。
友達に教えることで、自分の理解の曖昧さに気づかせます。


時には、黒板の前で他の子どもたちに説明させます。
中学受験を控えている子どもたちに、黒板の前に立たせてわからない友達のために説明をさせます。
これが、なかなかうまくいかないのです。
友達のわからないところまで、自分が降りていく、思いやることが難しいからです。
最初は、自分の理解したことを押し付ける説明をします。
しかも、わからなさが友達によって違うので、全員を理解させるまでには至りません。
彼らは、自分の限界を知ることになります。(集団学習の良さ)
彼らの中には、友達がどこでつまずくかを予習してくる子どもがいました。
友達に勉強を教えることは、相手からも教えられることに気付けるように指導します。
さらに、彼らの役割を拡大します。
授業内容に関連して、関係のある資料内容を紹介させます。
社会科の学習では、学習を広げたり深めたりすることに意欲を燃やせるようにします。

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