教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 366回 自主と協同 二つの視点にたった授業(学習)をめざして

授業って何でしょうか。
子どもたちに教材をわかりやすく伝えること。
子どもたちに考える力を育てること。
計算ができるようになること。
漢字に興味を持たせて使えるようにすること。
いずれにしても学習内容に興味関心を持たせて楽しく学ばせることが授業の役割です。
ネット授業の役割も上のようなねらいです。
私も若い頃は、そのように授業をとらえていました。


教育は子どもたちを人間として育てる
人間としてとは、自主性、主体性を身につけさせることです。(独りで生きること)
同時に、社会性を育てることです。(みんなで生きること)
生涯学習としての主体的な学びを身につけさせます。
仲間と共生できる人間的な広がりと深みを育てることです。
授業は将来において、子どもたちが生きていく力をつけます。
それは主体的な学びと行動力です。
そして、仲間と手をつなぐための共感力、優しさです。


教材をいかにわかりやすく教えるかという視点で授業が展開されています。
しかし、自主協同の「自主」とは、
目の前の問題を自力で解決していこうとする忍耐力です。
問題に向き合った時、「わからなさ」を自覚することから始まります。
わからなさを自覚する前に教えてはいけません。
子どもたちにとって、学習が簡単なものであってはいけません。
手応えのある内容であり、自力で取り組む姿勢を育てます。


わからないことをすぐに誰かに聞いて教えてもらうという姿勢を否定
まずは、自力で「迷い悩む」ことを子どもたちに求めます。
大人でもそうですが、目の前にはだかる問題が大きいと自分の力のなさが見えてきます。
子どもたちが自分の力の程度を問題に向き合うことで自覚することです。
そして、自力で問題に向かうとき
「何がわからないのか」「どこまでわかっているのか」を明確にします。
ここまで準備して、子どもたちは学びのスタートラインに立ちます。


わからないという立場にたち、さらに、仮説をたてた子どもたちは、友達と自分のわからなさ、わかり方を出し合うことを通して課題を遂行します


話し合い学習は、学びの広場
多くの友達の考えを聞きあったりぶつかりあったりできる場です。
そうすることで、自分の考えが揺さぶられたり広げられたりします。
その時、集団の楽しさ、仲間と学びあうことに喜びを感じます。
さらに、教材を通してぶつかりあうことでお互いの人間的な関わりが育ちます。
集団維持機能です。
独りの学びが集団としての学びになります。
集団として学びが個人としての学びになります。
話し合いは学びあいです。
話し合いは人間的なふれ合いです。
話し合いは、相手の人格を尊重しあいます。


授業とは、課題遂行機能と集団維持機能の両方を効果的に働かせる
教科の課題が遂行されることを通して、その過程において、民主的な風土が育ち、学習者一人一人の授業への満足度と意欲が向上するように仕組みます。
その両方の機能を満足させていくのが「話し合い活動」です。
学習者の立場にたった、児問児答による学習展開です。
子どもたち一人一人のわからなさを集団全体が保証していく集団、「支持的集団」を育てます。


話し合い活動は、個から集団への働きかけ、集団から個への働きかけの両面
小集団(班)の話し合いも含みます。
小集団学習が核となって全体の話し合いを進めます。
言葉や心のコミュニケーションとしての役割を果たしています。
おしゃべり学習としてではなく、課題が遂行されるための話し合いができるようにします。


私は、生涯、この自主協同の考え方にたって学習を進めてきました。
自主は、迷い(自問自答)からねばり強さを要求します。
協同は、ふれ合いからぶつかり合いを求めます。
この二つのことを視点として、今までお話してきた授業、学習について再度、詳しくお話します。
私の教育(授業)の核は「自主協同」です。
自主協同の立場で実践をまとめていきます。

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