教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 350回  命の教育 指導が できるのかな?

勉強会での報告から


バッタジュース
中学年の子どもに事件がありました。
ある男の子が担任に話をしました。
友達と遊ぶとき、自分は家で飼っているクワガタをかごに入れて持っていたとき、その友達に「かわいそうだから、飼ってはだめだから放してやるように言われたそうです。
ところが、その友達は、目の前で、ペットボトルにバッタを入れて、そこに水を流し込んでふたをしめてシェイクのようにふりました。
そして、口からでた言葉が「バッタジュースだ」という言葉でした。


ショックを受けた子ども
話に来た男の子は、クワガタを放してやれと指示した友達が、一方では、バッタジュースだと言って、虫をいじめていることがショックだったようです。
そして、話が終わった後に「先生、この話は誰にも言わないで。先生に聞いてもらいたかっただけだから」と話して去ったそうです。


その日の放課、バッタジュースをつくった保護者から
ところがその日の放課後、バッタをいじめている子どもの母親から学校に電話があり、他の子どもから聞いたのだが、くわしく話してほしいということで、担任が家庭訪問をしました。
母親は、バッタの件について、少しショックだったそうで、家でも指導しますということで終わったようです。


家庭訪問を終えて学校に戻ると
ところが家庭訪問から帰ってきた、その先生に、管理職が「その子にきちんと命は大切だという指導をしたかどうかをその担任に尋ねたそうです。
まだ、していないことを伝えると、管理職はどうしてしなかったのかと責めました。
先生は、次の日に道徳を通して、全体の勉強にしたかったのですが、管理職は、わかったときに、家庭訪問の時に、命の大切さを指導すべきだったと言われました。保護者の前で子どもに指導してほしかったようです。


管理職の言葉に 納得のいかない担任
その担任は、思わず管理職に尋ねました。
命の大切さを指導するとは、その場で具体的にどうすればよかったかを聞きました。管理職は「命はかけがえのないものだから、たとえ、虫でも大切するように教えなければならない」と言われました。



私が教育の世界で気になる言葉の一つに「命の教育」があります。
命が言葉で言い聞かせすればいいという考えが先生のなかにあります。


命の大切は、言葉ではなく感性の世界です。


簡単に指導したとは言ってほしくない言葉です。
私自身、本当に命を大切にしてきたかと問われると「はい」とは言えない人間です。

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