教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 344回 全体学習 個人に働きかけている その2

前回は、先生の話すときの「間合い」についてお話ししました。
今回は、子どもに働きかけるためには、先生が子どもたちの様子を把握するためのお話しです。
先生方にとっては、もうすでに実践されている方も多いと思いますが、私は、子どもたち全員の前で話す時ほど難しいものはないと考えてきました。


実は、私は、年ごとに数回、講演のために地域や県、県外に出かけていました。
その時に、聴衆である先生に話すことは最初とても恐怖でした。
私の言葉が先生方の頭の上をすべっていくのではという不安がありました。
聴衆が何百人になると、その気持ちは、さらに強くなりました。
しかし、私が授業をしていることと同じだと考えるようになってから、教室と講演会場とは同じだと思えるようになりました。
全体に話しかけているが、聴衆の中の先生一人ひとりに話していると思うことで、先生個々のまなざしが見て取れるようになりました。
この話は納得、この話は疑問だと察知できるようになりました。
それでも全員は無理ですが、この経験は、教室で生かされました。


さて、話題を教室の中で話す場面に移します。
間合いについては省略します。
教室に立つ位置はふつう中央ですね。
教室の中央にたっているとき、左右両端の子どもを目の中に入れるようにします。先生の目は前を向いて止まっていますが、目の中に両端の子どもを入れるようにします。中央から少し後ろに下がります。
左右の子どもたちの体の動きがわかる位置に自分の身をおきます。
これは、視点を固定して一人ひとりの子どもの動きを察知する方法です。


特定の子どもの理解を確かめるために、話す時は、説明している時の合間に、その子に目をおくようにします。
わからないと目がぐらつきます。それでも、彼とまなざしを共有することで、彼を学習の中に導くことができます。


視点のすばやい移動。
教室の子どもたちをブロックごとに目をやります。
左の子どもたちをみているかと思えば、すぐに、右の子どもたちに視点を移動させます。子どもたちの緊張感は高まります。


身体表現も入れます。しっかりと伝えたいとき、強調したいときに身体表現、体全体を使って伝えるようにします。
さらに、強調するときは、声を大きくしないで、逆に、ゆっくりとささやくような声に変化させます。
聞いていない子どもがいるときは、言葉をとめます。すると、その子の顔があがります。こちらを向きなさいという言葉はいらないですね。


強調したいときは、前に体を移動させます。
これは、舞台効果で、役者が舞台の一番前まで出ることで、観客に強く印象づけることがあります。
このように働きかけている時も目標は個人の意識を動かし、変化させることがねらいです。


先生方は、子どもたちが話し手に集中する前に話し始められることがあります。そうではなく、子どもたちの前に立って、少なくとも静かになってから話し始めることが必要です。ただし、最初に話す時の言葉、その内容が大切です。聞き手である子どもの気持ちを引きつける言葉を発するようにします。


よくあるのは、「今から○○についてのお話をします。」「注意をします」と前置きが入りますが、そうではなく、結論から入ります。
たとえば、今では、休憩時間の手洗いについての注意が多いですね。
その時に、「今はコロナに感染しないために手洗いをするようにしましょう。・・・」と話しますが、子どもたちは、家庭でもどこでも何回も言われていることですので、さほど気にとめなくなっています。


「あなたはコロナウイルスをどこで防いでいますか。そうですね、口ですね、そして、手です。口はマスクで、そして、手は手洗い、指洗いで防ぎます。」問いかけから始めるようにします。


子ども全体に話をするときは、最初の一行で子どもを振り向かせます。
だらだらと前置きをいれません。映画の予告編のように、クライマックスからの導入はどうでしようか。

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