教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 343回 全体学習 個人に働きかけている

団を目の前にして学習を進行していますが、一人ひとりの子どもを対象にしています。全体学習の声かけは、子ども全体に話しかけているだけでなく、特定の子どもたちに話しています。


子どもたちに課題説明をするとしましょう。
先生は、順序だてて話します。
この順序、速さは先生の都合で進めることがあります。
課題を一人一人の子どもたちに理解してもらいたいという願いがあれば、必然的に、子どもたちのまなざしから目を話すことはできません。
目の動きのなかに理解の程度を見つけます。子どもは、わからなくて首をかしげたり、興味関心なしという気持ちを指遊びに表したりします。


説明の間合いは、子どもの理解を待つ間であり、子どもの理解の程度を先生が確かめる間でもあります。
だから、先生の話し方のポイントは間合いなのです。
どんなにはっきりと大きな声で話しても、それは、子どもたちの耳に届くかどうかの問題です。
学び、理解は心にとどくか、心がゆれるかどうかの問題です。


説明の時に子どもの中に不安を見つけたなら、「もう一度繰り返すよ」とか「説明の仕方を変えるね」など、先生の子どもに対するアプローチの仕方を変えます。特定の子ども、気になっている子どもがわかれば、他の子どもはおおむね理解しています。


朝会指導のとき、朝礼台にあがって先生が指導のための話をすることがあります。その時、全校生を相手にして話します。私は、一年生の表情を確かめながら話すようにしていました。一年生が基準になります。
一年生が理解できるように間合いをしっかりとります。


子どもたち全体を聞き手にまわすとき、先生の感覚、観察力は鋭さを増していかなければなりません。
確かめながら、自分の言葉を繰り返したり、修正したりしながら話を進めるようにします。
全体学習で先生が子どもたちに話しかけるときほど、難しいものはないと思います。子どもたち全員を相手にして、しっかりと聞かせる、理解させる、引きつけるような話し方ができるように努力します。


よく見られるのは、先生の話す言葉が子どもの頭の上をすべっていることです。言葉は、子どもたち一人ひとりの心に落ちていかないことです。
それができないと、個人的な子どもへの助言もうまくいかないでしょう。

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