教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 342回 学校から 子どもがいなくなった

明日、15日から学校が本格的に始まります。
勉強会も昨日から再開することにしました。
そこで、この休校期間中の学校の様子を聞くことができました。
先生の悩みとして、疑問として聞くことができました。


休校期間中、家庭学習として課題プリントをだしていたのですが、その回収を一か月に一回、いや、二週間に一回にするかが話し合われ、一か月にしたそうです。
一か月にしたところ、登校日、子どもたちがどっさりと宿題を持ってきたので、それを見るのに時間がかかるということで二週間に一回登校することにしたそうです。


この話を聞いたとき、学校から子どもがいなくなったと思いました。
先生の事務的な都合で物事を決めているからです。
休校中、学級の子どもたちの様子を把握しなかったのかと尋ねたところ、家庭訪問は難しいので無理、電話は学校からかけるので、職員が殺到するので難しいと話し合われたようです。


ところが、保護者から学校に電話があり「休校中、子どもたちのことが気にならないのですか。一度も連絡がないのですが・・・」と苦情の電話があったそうです。
職員は、この非常事態にそれは難しいのではと保護者の電話に少し憤慨したとのことです。


その日から2,3日たって、教育委員会から市内の学校に各家庭に電話連絡して、子どもたちの様子を把握するようにとの通達が入ったようです。
このような非常事態の時は、子どもたちの様子が気になるのが先生です。
そこには、自分たちの仕事の都合だけで動いている姿が見え隠れします。


家庭学習の課題プリントが教育委員会から学年ごとにサンプルとして各学校に送られてきました。ある学年は、ほとんど、そのままで子どもたちに配布しました。
ところが、またもや保護者から学校に電話があったそうです。
設問に対して、子どもたちが文章で記入する欄が20字ぐらいのマス目であったことに、これでは、子どもたちか十分に自分の考えを書けないのでは、さらに、子どもの立場にたってプリントを作られたのかという問い合わせでした。


対応した管理職は、教育委員会からのプリントであると伝えたようです。
しかし、学校は、そのプリントを手にしているわけですから、今の子どもたちに対応しているかを把握する必要があったことは確かなことです。
ここにも子どもがいません。


さらに、私が危惧していたことがでてきました。
学習の遅れを取り戻すために、教科の授業時数の帳尻合わせに走っていることです
時数を管理することは必要ですが、それは、学習内容と一体化したものです。
学習内容の精選と育成すべき学び方を考えたうえでの教科時数の問題です。
たとえば、この単元は、何時間扱いで少し短くしたということですが、短くしたということは、何を削ったのか、何を重点内容とみなしたのかが問われなければなりません。


修正された学習年間計画は、それぞれの教科における単元の配置と時数であって、今だから何を子どもたちのなかに育てなければならないかが吟味されていません。
密になるのをさけるために、ペアや班での話し合いができなくて、個人学習が中心になることが、自学自習力を育てるチャンスになるのですから、それについての授業の進め方を考えることが大切だと考えます。
これは一つの事例ですので、他の地域では、もっと子どもたちの視点で活動が行われているだろうと思います。

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