教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 339回  集団学習 集団育成のなかでの個人の育成が目標

集団学習は集団を育てます。
お互いに信頼関係を築きます。
お互いの意見、考えを理解し合います。
人と人の間が和やかで心が通い合うようになります。


学校(集団での教育活動)は、家庭教育を是正したり補ったりします。
核家族化、少子化により、子どもたちが成長していく過程において、様々な人との交流が少ないです。
先日、大手の企業家のお話のなかに、「今ごろの新入社員は優秀な人が多いのですが、他者とのコミュニケーションが苦手な人が増えているようです。」と言われていましたが、まさに、集団学習は、子どもたちの言葉や心のつながりを育てることを土台としています。
そして、授業において、集団学習の良さを意識して実践することで、学習の深まり、広がりに予期しない効果が出てきます。
個人で勉強しているだけでは得られない信頼関係を育てることができます。


ところが、集団学習にはいろいろな問題点があります。
能力、関心意欲、性格の違う子どもを一緒に集めて学習するところに問題点も生じてきます。しかし、反面、お互いの能力、性格が異なるからこそ、子どもたちが交流しあうことで、お互いの個人的な人間形成に大きな役割を担っていると考えてきました。
信頼関係が育てられていない学習集団では、能力差がお互いの冷たさを助長したり、性格の違いがいじめの原因になったりすることもあります。
だから、友達と勉強するよりも自宅で勉強するほうが楽しい子どもが出てきます。


集団学習は集団育成が最終目的ではありません。
学級づくりにおいても同様に、集団づくりが目的ではありません。
さもないと、集団主義教育になっていきます。
集団のために、子どもたちが犠牲になります。
「みんなもしているでしょ。あなたもしなさい」
「あなたのしていることは、みんなの迷惑になっているのですよ」
というような先生の言葉が発せられるようになります。
子どもたちは、集団という規制のもとに小さくまとめられていきます。」


集団育成が最終目的ではなく、集団の中の個人の育成が目標です。
それぞれの個人が希望と夢を持たない集団育成ではありません。


集団学習の育成のために、話し合い学習における集団思考を核とします。
何回かに分けて、集団学習(集団育成)についてお話します。

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