教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 338回  今こそ、授業計画、授業実践が問われる時

ほとんどの学校が再開されます。
地域の子どもたちも、今、午前中、隔日ごとに登校しています。
近所で聞いた話ですが、ある子は登校するときに元気がないとのことです。
理由は、学校がおもしろくないそうです。


子どもたちは、友達と会えるということでうれしいという反面、勉強が楽しみだという子どもは、何人いるのでしょうか。
時間数の関係で、学校行事が大幅に削減されています。
子どもによっては、運動会や音楽会などの行事が楽しみの子もいます。


ところが、始まっている学校では、教科進度の遅れを取り戻すために、内容を削減したり学び方を簡素化したりしているようです。
勉強会で来られている先生とは、しばらく対面していませんが(そろそろ始めるつもりですが)学校は教育委員会との対応に追われ、学年でも見通しをたてていないと
連絡がきました。


教科進度はいくらでも調整できます。
しかし、限られた時間のなかで「どのような力を育て」そのめに「どのような内容を核とするか」を考えなければなりません。
そして、久しぶりの学校での授業が楽しい、おもしろいと子どもたちが思わない限り、
子どもは家で好きなことをして過ごしていた時間のほうに心が向くことになります。


授業は遅れをとりもどすために、教えこみに偏った走り方をしているのではないかと危惧されます。「教える」だけではなく、学びの姿勢を「育てる」ことが大切です。
教育、教える、育てるの両輪で授業を進める必要があります。


そのために、各教科、当該学年で一年間を通して、どのような力を育てるのかを見直します。
国語の例にとりあげます。
説明的な文章で育てる力とは
低学年では「時間的な順序や事柄の順序を考えながら、内容の大体を捉える」(指導要領)です。
中学年では、「段落相互の関係に着目しながら、考えとそれを支える理由や事例との関係などについて、叙述を基に捉える」になっています。
したがって、中学年では、段落に着目させて、そのつながりを考えて筆者の意図をくみ取ることが技能としての目標です。
高学年では、「事実、感想、意見との関係を押さえ、文章全体の構成を捉えて要旨を把握する」ことがねらいになります。


説明的な文章は、年間4単元あります。
したがって、4つの単元を通して、一年間の最後に説明的文章を読み取る技能を身につけさせればいいわけです。最初にでてくる単元学習ですべてをねらう必要はありません。単元ごとに、段階的に読み取り技能を指導するようにします。
だから、今、どの単元を重要単元にするかを考えます。
学習内容の軽重がでてきます。


文学的文章でいうならぱ、
低学年「場面の様子に着目して、登場人物の行動を具体的に想像すること」とあるように、読んで登場人物の言動をもとに場面を想像することがねらいです。
これが、中学年になると「登場人物の気持の変化や性格、情景について、場面の移り変わりと結びつけて具体的に想像すること」ができるようにします。
高学年では、これに加えて「表現の効果」を考えることが目標になります。


算数においては、学習内容の系統性が問題になります。
今の単元が次学年、中学校の数学とどのように関連しているのかを把握することで、どの単元を重点的に指導しなければならないかがわかります。


理科においても
生物領域(植物、動物、生命の連続性)
地学領域(大地、気象、天体)
物理領域(光・音、力・運動、電磁気、エネルギーの利用・熱)
科学領域(物質の構成、物質の変化)
この4つの領域別に単元が構成されています。
しかも、小学校から高校までつながっています。
どの単元学習が連続しているかを見定めて計画をたてます。


今こそ、限られた時間において、何を子どもたちに指導するのかを真剣に考えなければならないときです。
各教科でどのような力を育てるのか、そのためにどのような学習内容を重点的に指、導するのか、さらには、一時間の授業の無駄を省き、効率的に指導するのかを考えます。そこに、子どもたちの学習意欲の増幅を忘れてはならないです


限られた授業時数 精選した教科内容 子どもを引き付ける授業
自力解決を考えた授業構成 など
私は、今、授業計画、授業実践の在り方が、社会から問われている時だと思います。

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