教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 323回 子どもが変わるということ 目覚め 自覚

「子どもが一年間で変わるということはないのだよと、先輩の先生から言われました。だから、そんなに一生懸命しなくても、それなりにやればいいのだ」とアドバイス?を受けたことがありました。


ある先生は4月に言いました。
「子どもは、最初が肝心だ。だれが先生かをはっきりとわからせておかなければならないのだよ」
その先生は、4月にびしっと子どもたちをしつけました。
そして、4月の終わりに言われました。
「子どもたちは、だいたい私の手の中に入ったなあ」
その先生の学級は、6月ごろから崩れ始めました。


ある学校の校長先生が、新学年が決定された日に、全職員に向けてプリントを配布されました。
そのプリントの内容は「黄金の3日間ですべきこと」という指導マニアルでした。
そこには、返事のさせ方、挙手の仕方、掃除のさせ方、係の決め方、一日の子どもの所作を指導する方法を細かく書いておられました。
そして、校長先生は言われたそうです。
「子どもと出会って最初の3日間にしつけるべきことを明確にして指導するとあとの指導がスムーズに行える」
私は、その学校の先生に質問しました。
4日目からは何をするのですか。


同じようなことが私の同僚にいました。
「一年生のしつけは、最初の一週間で決まる」
私は尋ねました。
一週間で決められなかった次はどうするのですか。
一週間でしつけをされたら、次の日からしつけることはないのですか。
どの子も期間を区切ってしつけられるものですか。
まして、一年生は、育った家庭の影響を強く受けているのに、一律にしつけられるのですか。


先生が指導目標の到達基準をもうけて、そこに、子どもたちを追いやることはできます。しかし、子どもたちの性格、行動様式、考え方などは異なります。そのような子どもたちを先生の一方的な指導方針でうまくいくものでしょうか。
どこかの一党独裁の国であればできるかもしれません。
教室を一党独裁の王国にされるのでしょうか。


子どもを表面的に従わせることはできます。
しかし、心から子どもが先生の指示に従うようにするのは難しいですね。
子どもたちの誰もが、人間としての感情、能力の素地を持っています。それがその子をとりまく環境、境遇によって素地だけで終わる部分と、芽生えからすくすく成長する部分とに分かれます。


子どもたちが変わるのは「きっかけ」なのです。


助言であったり、人との出会いであったり、見聞したことであったりします。
先生は、子どもたちにきっかけしか提供できません。
植物の茎をのばすためにひっばってみても効果ありません。
茎をのばしたければ、その周りの土、水分、温度、日光などの周囲の環境を整備するしかありません。肥料を与えても、その栄養を飲ませることはできません。植物が自力で取り入れるしかありません。
そのためには、自らの根をのばします。
根が伸びやすいように空気が入りやすい土にします。。
結局、きっかけをつくるしか人間にはできません。
子どもたちが成長するのも同じです。


きっかけとは、「目覚め」です。
きっかけとは「発見」です。
そして、きっかけとは「自覚」です。
子どもたちの意識の流れに刺激を与えることでもあります。


ところが子どもたちのいたらない面をきびしく注意しすぎると、その子の可能性を信じて、よりよき方向に子どもの意欲を向けることはできないでしょう。
子どもに力をつけると言われますが、そうではなく、子どもが本来もっているもの、独自に持っているものを引き出すことです、
子どもに自分の能力に気づかせること、自覚させることが大切になります。
そのためには、子どもたちに接するとき、一歩、二歩下がって子どもたちをみます。
子どもの問題点を責めるのではなく、一歩下がって、「どうしてそのような行動をとるのか」を、子どもの事実をもとにして掘り下げてみるようにします。

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