教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 321回  発問は ゆさぶり 授業の山場づくり

教材研究の柱は授業中の発問となって表れます。
しかし、授業中、先生の口からでることをすべて発問として扱われるみとがあります。
授業中の指導者の活動は、
発問--質問--指示--説明--補足--助言と細かく分けられ、それぞれの働きをします。
授業中における発問は、先生自身が答えをはっきりと予測できない問いを指します。質問は、答えが予測できます。
授業の組立ては、たいてい3つの発問から構成されます。
逆に3つの発問を考えることができたなら授業を展開することができます。


子どもたちがわかっていると思っていることを、新たな問いを導入することによって、子どもたちの考えや広がったり深まったりします。これが発問です。
「ああでもない、こうでもない」「いや、私はこう思う」「ちょっとちがうんだけど」など、子どもたちの個性的な考え引き出すことができるのか発問です。


発問を簡単な言葉に置き換えますと「ゆさぶり」です。
子どもたちの思いこみや納得していることを「あれ、ちがうかな」「今までの考えに自信がなくなったぞ」「わかったつもりだったけど」など、思考、心情をゆさぶるのが発問です。


ですから、あらかじめ発問と考えていても、あらかじめ答えがセットされており、子どもがその答えに合致すると、にこっと笑って板書するのは質問です。


発問によって授業を構成するには
○既習事項を呼び覚ます時。
○思考活動を刺激し、思考をひろげ深める時。
○心情をゆさぶる時。
○子どもたちの思考の流れの方向性を変えたり、強めたりして立て直す時。
以上のことを意識して、指導段階に即して位置づけます。


総合的な学習が始まり出したときから、「授業の山場をつくる」
「授業においてゆさぶる」発問が少なくなってきました。
平板で淡々と流される授業が目に付くようになりました。


授業は子どもたちにとって学びのドラマです。
ドラマチックな学びの展開です。
一方的に教えられることから自ら主体的に学ぼうとする転換です。
一時間の授業を通して、最初は受け身であった子どもたちが途中から主体的な学びにかわっていくところがおもしろいです。
えっ そうか どうして やっぱりな そんなばかな
あっそうか、それもありだなあ  
このような内言、つぶやきがでてくるとたのしいですね。


時間で始まり時間でおわる授業、そこには感動がありません。
知識を得ることは感動です。
わくわくどきどき・・・そのような場面を一つでも作ってみてはどうでしょうか。

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