教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 310回 教育効果 独りで職員室に入れる子

教育社会以外の社会、特に、営利専門の職場であれば結果はグラフにでも表すことができます。しかし、教育はこれといった決め手がないから難しいといわれてきました。その通りですね。
だから、先生には二つの面が表れてきました。
一方は、目に見えない効果に対して、ひたすら一生懸命仕事をしている場合。
他方は、効果が目に見えないから、それをよいことに手を抜く場合。
ただ、私も含めて、常に、その両面を抱えて仕事をしてきました。
もちろん、一年間、コンスタントに手を抜かずに仕事をされている先生もおられ、頭が下がる思いです。


私は、だめな先生の部類に入ります。
手を抜いてしまうこともある一方では、これだけは実践しなければという強い気持ちを持つこともありました。教育効果が見えないことが多いからです。
きっと、先生の仕事がグラフ化、数値化できるとしたら、いつも追い立てられていたかもしれませんね。


先生の仕事というのは、手ごたえが分からなくなり不安に陥ることがあります。忙しさを理由にして、手抜きをすることだってあります。一年間、同じペースで走ることはできません。
教材研究をしているうちに眠ってしまって、翌日の準備が半分だったこともあります。学級集団に問題があると、その対処に追われて疲れてしまい体調を崩すこともありました。
自分自身、先生としての力量に自信をなくしかけることもありました。
それでも続けてこられたのは、子どもたちの成長する明るさ、輝きでした。
この仕事は、子どもを通して、自分の無力さ、至らなさを見せつけられてきました。自分という人間を問題にしない限り前に進むことができないものです。
だから、子どもたちが至らない私を成長させてくれたと思っています。
「教える者が子どもから教えられる」
子どもからの声、心の願いに耳を傾けることで、自分を先生として、人間として修正していくしかありませんでした。もちろん、それも不十分だったと感じています。


さて、目に見えない教育効果、その度合いをはかるものさしがあります。
これは、私の経験から得たものです。他にもあると思いますが、私のものさしを紹介します。何回かに分けてお話します。
その1 子どもが家に帰って学校のことを話題にするようになる。


「今日ね、面白い勉強をしたよ」「今日、友だちと楽しい遊びをしたよ」
など、子どもが学校が楽しくなると、家の人に聞いてもらいたくなります。
個別懇談会で、私は、子どもたちが家で学校のどんなことを話しているかを質問します。「いや、学校のことはほとんどいいませんね」という言葉が返ってくることもあります。


その2 担任外の先生に対しての態度に好感がもてる。


子どもたちは、ややもすると、担任の言うことは聞くけど、それ以外の先生の言うことには、あまり聞かないことがあります。たとえば、学級によっては、音楽や図工などの専科の授業態度が著しく変わることがあります。これは要注意です。
子どもが自立、成長してくるとどのような他者に対しても心を開放してくるようになります。
だから、担任は、常に、専科授業のあと、専科の先生のもとを訪ねて、学習の様子、子どもたちの態度について気になったことがないかを聞くようにします。


その3 職員室などに一人で入ってこられる。その時の話し言葉に節度が見られる。


一学期も終わりになると、職員室に用事があるときは、できるだけ一人でくるように言います。もちろん、強制ではありません。
自分に自信が持てるようになった子どもは、堂々と入室して、丁寧な言葉で対応するようになります。その時の様子を他の子どもたちにも紹介します。(刺激)


次回もバロメーターについて具体的にお話します。

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