教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 276回 授業 子どもの学習を支える基盤は何か

学校の授業研究会がいつのまにか教材研究会になっています。
授業を研究するのではなく、教材を研究する場となっています。
その教材研究も特定教材の場所に限られています。
授業の在り方にまで研究は広がっていきません。
しかも、子どもたちがよく発表していました。
(学習は深まったのでしょうか)
時間どおり効率的に終わりました。
(学習の流れよりも子どもの学びの滞りでは)
先生の板書がよかったです。
(すっきりとか、ていねいとか、字が上手とか、学びに役だったのかな)
子どもが前を向いて集中していました。(全員ですか?)


授業の良し悪しが教材面だけから話し合われています。
子どもの発言や態度は、子どもの学習参加があったかどうかということだけで授業が評価されています。
授業に形となって見えるものに終始しています。


ある学校では、授業発表するときに、二、三年間の指導案をだしてきて、少し手を加えて発表しているとのことです。
授業者は「これは、去年の校内研修で使われた案に少し修正を加えました」という前置きのもとに研究会が行われます。
子どもも先生も違うのに、どうして去年の案がほとんどそのまま使われるのでしょうか。
それは、教材の研究になっているからです。
そこには、ほとんど目の前の子どもは問題にされません。


授業は三つの視点で構成されます。
教材研究 子ども研究 指導方法です。


子ども研究は子ども理解です。
多様にわたる子どもたちの姿を浮き彫りにして、学年、学級の傾向を加味して指導案が作られます。授業は、一人ひとりの子どもを生かすことです。
子どもの興味関心や子どもの性格等も考慮します。


指導方法は、教材をいかに効率よく(先生にとって)消化することが優先されます。
教材は文化財を伝えるという目的がありますが、それ以上に、教材を使っていかに子供の意欲を高めるかということに力を注ぐ必要があると考えます。
学習意欲(学ぶ意欲)は生涯、継続されていきます。
学力はいかに学習意欲を増幅するかにかかっています。
学習意欲を高める授業のありかたを求めてきました。


授業が終わっても、質問にくる子どもたち、自分で家に帰って調べなおす子どもたち、さらに、興味あることに挑む子どもたちがいるようにしたいものです。


学びは終了チャイムで終わるものではありません。
むしろ、学びの始まりです。

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