教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 277回 授業のねらいは 学習意欲の増幅

国語の評価をとるために、まだ、読解指導をしていない物語文を読ませて、その感想文を400字の原稿用紙に書かせ、それを評価にしましょうという学年打ち合わせがあったと聞きました。


まだ、学習前に感想文を書かせることはよしとしましょう。しかし、それを読みの評価にするというのはどういうことでしょうか。
評価とは、指導者の指導の評価です。指導の結果、子どもたちの学習効果、変容を調べるのが評価です。
少なくとも、学習進行過程及び学習指導後に行うものです。


最初に感想を書かせたたら子どもたちの読みの差がはっきりしているので評価しやすいということだそうです。
すなわち、あゆみ等の成績をつけるためだったのです。


物語文の「スーホの白馬」です。
読む前に評価をするなら、終わったあとの評価はどうするのでしょうか。
最初に感想を書かせます。
読解学習後、もう一度感想を書かせます。
二つの感想文を読んで比べます。
どんなことが学習したことで変化したのか、深くなったのかが評価です。
教えもしないで、指導もしないで評価するならば、すべて一学期の最初に評価できることになります。


私も最初に感想を書かせました。
子どもたちがその作品に向き合ったときに、どのような場面に興味関心をもち、どんなことに強く心が引かれたかを参考にします。
子どもの読みは、作品のどの場面に集中しているか、その理由は何か、さらに、主題にふれてよんでいるかなどを調べます。
それもとにして、授業案の修正をします。


今、例をあげた物語文についていうならば、学習をして、物語の主人公に寄り添うことの楽しさ、感動を味わえるようになれば、その子どもは、次の作品求めるようになります。
作品の背景を調べたくなることもあります。
それが学習意欲です。意欲の増幅であり継続です。


集団で学ぶとき、30名のクラスで、10名しか意欲のないクラス、20名に意欲があるクラス、全員にもれなく意欲があるクラスでは、どのクラスが学習の効果があがりますか。
分かり切ったことです。
全員の子どもたちが意欲のある学習は、話し合いをしても活気に満ちています。お互いに耳を傾けあおう、学びあおうという姿勢から学習の広がりと深まりは大きく違ってきます。


10名しか学習意欲のないクラズでは、わかる子、できる子だけが挙手して、その子どもたちによって授業が展開していきます。
ほかの子どもたちは、指名されないように下を向いているか、わかったふりをしてうなずいているか、あるいは、初めから授業傍観者になっているかのいずれかでしょう。


例を変えます。
国語辞典の指導があります。
検索の仕方を学習します。
学習後、子どもたちは他の場面で辞書をつかわずに「先生、言葉の意味がわかりません」と言っています。
辞典の活用の仕方を学んだなら、指導したならば、以後、どの場面でも自分で辞書をだしてきて活用することが学習意欲に火がついていることです。
当然、教室の棚には、国語辞典がならべられています。


知識を教えても、そのことによって興味関心を持たせることはできますが、それは一部の子どもです。大半は、頭上を流れ去っていく雲のようなものです。「そんなこともあるのか」という程度で雲の流れを眺めています。               


知識を教えることを否定しません。
知識があっての思考活動です。
知識は思考を組み立てる材料です。
知識は、学習、学問の入り口です。
知識は獲得したら終わりではなく、始まりですね。
子供たちの探求が始まるような授業であってほしいですね。

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