教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 264回  反抗ではなく対抗へ

小学生高学年から中学生になると、児童期とは違ってかなり変化してきます。
反抗期という言葉は、あくまで、親の立場からみての言葉です。親の指示や助言を聞かなくなったり、反対のことをしたりする時期がでてきます。


しかし、子どもたちからみると、「反抗」ではなく「対抗」です。
それまでは、親のいうことに順応して、助言も取り入れてきました。
子どもからすると「自分は自分だ。親のロボットではない。自分の考えで生きていきたい。」と考えるようになります。
ところが、常に、真っ向から対抗できない場合、子どもなりの対抗をすることで、親の自分に対する願いを変えようとしてきました。


先生に対する態度も高学年になるにつれて、先生を一人の人間として、自己主張し対抗心を燃やしてくることがあります。
「ぼくはぼくだ、先生の思い通りにならないぞ」という気持ちを強くだしてくる子どもたちがいます。頼もしい子どもたちですね。


秘密をもつこと
子どもたちは、友だち同士で秘密を共有します。親には内緒です。自分には自分たちの世界があるから干渉しないでくれという気持ちです。
子どもたちは、親が学校や友だちのことを聞くのを嫌がります。
聞いても「べつに」という言葉で濁します
 秘密の世界ほど楽しいものはありません。自分だけの世界、友だちとの共有世界、秘密の中に自分の存在、自分であることを確認します。


今はメールの世界ですから、秘密を共有しあうことは簡単です。
親は内容を覗きたいと思うのですが、覗いてしまったら子どもとの境界を破壊します。このメールで子どもたちは、私たち大人が見えない、知らない裏の世界を作り上げています。


小学6年生の男子が、ある日、メールにパスワードをかけて、母親から大変叱られたと話していました。保護その保護者が相談に来ました。
パスワードをかけないと約束したのに、あの子はすぐにかけてしまうのですと嘆いておられました。
親としては、子どものことを何でも知っていたいと思うのですが、子どもたちは、自分の心の部屋を作りたいのです。


そこで、子どもたちは次のような方法で、自分の世界をつくります。
自分の持ち物と他の家族の持ち物との区別をはっきりさせる。
子どものものを勝手に触ったりするとおこることがあります。
親の手伝いを拒否。「自分でやるからほっといて」と言って、親のかかわりを拒否します。親は、自分の思い通りに事を運ぼうとします。
子どもたちにとっては、うっとうしい、うざいと言います。


自分で決める。
自分の問題を自分で決めようとします。親が「こうすればいいでしょ」とアドバイスすると、無視したり口ごたえしたりします。
人生経験が豊富な親は、自分のアドバイスを聞かせようとします。
しかし、子どもたちからすると親の干渉であり押しつけでしかありません。
決めさせたらいいと思います。
大切なのは、自己決定に伴う自己責任を負わせたらいいのです。
学級会で子どもたちが決定したことは、その責任の一端を負わせるようにします。
自由には、常に自己責任を伴うことに気つかせるのがいいですね。


自分の部屋に閉じこもる
親でも子どもの部屋に勝手に入ることはできません。
子どもの心的空間だからです。引き出しをあけたり、カバンの中を調べたりするのは、好ましくないと思います。そうっと開けてみたいと思うのが親です。
開けるなら、子どもに知られてはいけないですね。


子どもたちが親に対抗的な態度を示すことができるのは、親を信じているからです。対抗しても、自分を見放すことがないと思えるからです。
無力感の強い子どもは、親に対抗することはできません。


子どもが親(大人も)への対抗ができることは素晴らしいことです。
「いつも素直でいい子よ」という子どもの方が、これから先、その歪みが表れてきます。

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