教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 259回 おかげさま とわかっていても・・・

教育は知識を多く与えることではありません。
もちろん、知識をもつことは大切です。
しかし、私たち大人が子ども時代から振り返ったとき、学校で教えてもらったものと自分で身につけたものとどちらが多いでしょうか。
たとえば、漢字はどうでしょうか。
学校で、漢字を学ぶきっかけを与えられました。
そのあとは、大人になるまで、自分の興味関心によって漢字を学んだのではないでしょうか。
資料活用、辞典活用の習慣さえ身につければ、知識はあとから付いてくるものです。


私は、子どもたちに伝えたいこと、育てたいことの一つに「感謝の心」があります。
自分が、命を頂き、その命を維持できているのは、すべては周りのおかげであるという実感が必要です。


ありがたいと思う心。
おかげさまでという心。
得難いものを得させてくれる存在に対するお礼、感謝。


給食、「いただきます」誰に向かって感謝しているのかを意識させたいものです。
子どもが自分で頑張ることができたのは、自分の力だけではできないという気づき。
お陰さま という事実。だれかが、環境が「陰になって」自分を支えているという事実に気づいていくようにすることが大切です。
もちろん、先生も子どもたちによって支えられている、先生として継続できているという有難さ、おかげ様ですね。


卒業証書を両手で受け取るのに、どうして、ご飯を片手で受け取るのか、両手で受け取らないのかを考えさせます。


子どもたちから日常的に口から出てくる言葉。
親からも先生からも「ありがとうを言うのですよ」と教えられてきました。
しかし、誰に向かって感謝の心を伝えようとしているのか。
子どもは、言葉を発しているのですが、まなざしは相手を見ていません。悪く言うと、言葉だけの感謝です。
それでもいいじゃないか、言わないよりはましではないかという考えもあるでしょう。
しかし、感謝の言葉教えるのではなく、その心を育て、伝え方を教えなくてはいけないと思います。言葉は心の深い所、沈黙から出てくるようにしたいものです。


ただ、このように話している私自身も感謝の心をていねいに相手に伝えているかと問われたら恥ずかしく思うことが多々あります。
教育の仕事は、先生自身を振り返ることです。
自分の不備を見つめ直しながら子どもたちに向かっていくことのように思えます。ともに、成長していけばいいですね。
あなたもだめだねえ、私もだめですねえ、ともに成長していこうですね。

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