教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 258回 最高だ という落とし穴

チームが全員の力をあわせて優勝した。優勝して知名度が高くなりました。
しかし、優勝したあと、その勢いを続けることが大切です。
好きな飲食店が列をつくっていました。
しかし、1か月たつと、その列はありませんでした。
飲食店は、人気がでて繁盛します。
しかし、その人気が続くことです。
続く努力をたえずしていかないとだめなのでしょう。


先日、自分で居酒屋をされている方にお会いしました。
その時のお話です。
知り合いがとんかつの店を始めたので、繁盛するかどうかを見に来てほしいと頼まれたそうです。
開店当日、その店に行ってとんかつを食べたそうです。
その時に、これならいけるだろうと店主に話したようです。
予想どおり、店は賑わいをみせているとのことでした。


2週間後、その様子を見に行かれました。
そして、とんかつをもう一度食べたそうです。
その方が私に言われました。
開店の時から少しずつ手を抜いている。はやりだすと手をぬくようになっている。衣の付け方にむらがでてきていることからそれがわかるんだというのです。
お客に対しては、どんな時も全力で調理しなくてはいけないのに、はやるようになると、少しずつ手抜きが始まるのだそうです。


商業施設も同じです。
あれだけ人気だったのに、いつのまにかがらんとするようになってくることがあります。


学校、学級も同じです。
一番、学級集団がいい状態になった時に、それが続くように努力する必要があります。
子どもが落ち着いてきたと手放しで喜ぶとやがて下っていきます。
子どもが仲良くなった、まとまったと手放しで喜ぶと学級は下り坂に入ります。
反省してたえず修正していく努力、新しいことへの試み、学級の良好状態が続くためには栄える以上の努力を必要とします。


もう少し具体的に話します。
たとえば、「みんな なかよくしよう」というねらいのもとに指導が行われたとします。
そして、それなりにけんかや言い争いがなくなり落ち着いてきたとします。
みんながなかよくなるということは難しいことです。
ただ、お互いの共通点を見いだし、相違点を認め合うことでお互いの距離が小さくなっていくことが大切です。
そのためには、学級の些細な問題に先生も子どもたちもしっかりと向き合っていく必要があります。手放して傍観していてはいけません。


そうしないと「なかよく」ということが目的化していきます。
目的化すると表面的な繕いが始まります。
けんかしていると「まあまあ、押さえて」
激しく意見が対立すると「もっと歩み寄らなければ」とすぐに妥協点を求めようとします。
「なかよく生活しよう」が目的化するのではなく、いろいろな問題を抱えながら、結果として仲良くなっているという一時的な状態が学級集団です。
学級集団は無常です。
日々変化して、同じ状態などありません。
一人ひとりの子どもたちが毎日、違った息を吐いているからです。

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