教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 256回 授業を通して差異を認め合う

子どもたちの集団生活の指導を学級指導、生徒指導等で行われていますが、本当に子どもたちに社会性を身につけさせるためには、授業(学習)を通して身につけさせるようにします。


社会性、この場合は、友達を認め、お互いに手を取り合えることでする。
認めるとは、お互いの違いを認めることです。
お互いの差異を認め合うことです。
人間は、この差異を認めようとするのが困難なのは、そこに嫉妬や妬みがはたらくからでしょう。
子どもたちは、まず自分を認めてほしいという気持ちをもって生活しています。
その時に、自分よりも優れている友だちがいると、嫉妬することがあります。
先生は、「みんな友だちだから認め合おう」と言われることがありますが、子どもにとっては、友だちだからこそ、ライバルだからこそ、認めたくないこともあります。



学級集団が、一人一人が自分の意見ばかりを主張しすぎて、他の主張を聞こうとしない場合は社会性を育てることはできません。
逆に、控えめで礼儀正しいが集団として盛り上がりに欠ける集団、お互いの意見を関わらせない集団においても同様のことが言えます。


子どもたちが学習を通して、はっきりと自分を主張する集団にすることを目標にします。
お互いの考え方が分かれる討論、話し合いにおいて、自分と友達との差異を理解させるようにします。
生活の問題を話し合わせるときは、どうしてもそれぞれの子どものプライベートに関わることがでてきます。しかし、学習の場面では、そのようなことがありません。
対立しても遺恨が残りません。


生活の中で、お互いが言いたいことを言い合うと喧嘩になります。しかし、学習の中においては、言いたいことをぶつけあっても、お互いが恨みあうことはありません。この点が学習における話し合いのよいところですね。
ここに、授業における話し合いを指導する大きな意義があります。


そのためには、子どもたちの考えが大きく分かれるような教材提示をします。
予想から討論に向かう時に盛り上がれるように指導していきます。
対立点を明確にした話し合いは、自ずから盛り上がってきます。
先生の役割は、その対立点をつくり、明確化していくことです。
話し合うことが目的ではありません。
社会性を身につけさせるために話し合いを設定します。
「A君とぼくとの意見の違いはどこにあるのだろう」
「A君の考えもぼくと似ているように思うなあ」
「A君はそのように考えるけど、ぼくは、少し違った考えをもっているんだ」
A君とぼくとの考えの違いを見つけ、その差を少しずつ小さくしていくことを
「差とり」と言います。

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