教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 251回 学級づくり 誰の願いで動いているか

集団において、お互いの願いや考えがすべて満たされることは難しいです。
いや、ありえないことです。
ただ、問題にしたいのは、学級という集団において、だれの願いを満たしていくかということです。
学級という集団を通して、集団を維持することの難しさを学ばせます。


先生の願いが強く前面にでている場合。
先生が自分の理想や目的をもって学級集団づくりをすることは必要です。
しかし、その気持ちや姿勢が強すぎると、子どもたちの願いや要求を圧倒してしまいます。


先生は権力の象徴です。
そうではないと自分に言い聞かせてみても、子どもたちにとっては、自分よりも先生のほうが意思決定力が強いです。
したがって、先生が集団をまとめようとすると、合わせよう、従おうとして自分の願いをあきらめることがあります。
子どもたちにとっては、自分の願いを出すことよりも、先生を含めて、誰かの願いに寄り添っていることのほうが楽です。(集団依存)
先生は三学期になって、学級がまとまってきたなあと自信をもつことがありますが要注意です。


集団の中の発言力のある、あるいは、積極的な子どもに従うことで、自分の願いや考えを抑えます。さらに、多数決による決定によって、十分な話し合いがされていないと、納得していないと、少数派の子どもたちは自分をひっこめてしまうことがあります。


集団、学級づくりを考えるとき(社会集団も同様)、それぞれの差、違いがあることが前提です。
その違いを自由にだせるようになっているかということも大切です。


今、集団遊びを決める場面を設定しましょう。
まず、子どもたちがみんなで遊びたいことを出します。
話し合いでは、力関係の中で出しにくいことがあります。
だから、無記名で紙に自分の遊びを書きます。
その時に、その遊びを推す理由を書きます。
理由を書けないのではなく、書くことが自己主張であると指導します。
意見には、常に、自分の根拠を示さなければならないことを理解させます。
意見や考えは、常に、根拠、理由と一体であることを意識づけます。


その結果を全体で集約します。
黒板には、まず、子どもたち全員の願いが挙げられています。
その遊びを多数順に並べます。
少なくともベスト3ぐらいをだしてみます。
みんながしたいという要求が高いということで決定します。
次に「なぜ、遊ぶのか、そのねらいは何か」を考えさせます。
「もっと仲良くしたいから」「冬なのであったまるから」などの理由がでます。
その理由にかなっている遊びを選びます。他にも視点を決めて選択します。
こうして、いくつかの遊びが決定され、順番にやってみようということにします。


さて、残った遊びはどうしますか。
この遊びを紙に書いて、掲示して残しておきます。黒板の横、目に入るところがいいです。
ある程度決定された遊びに慣れて来た時、先生は、残された遊びを一度みんなでやってみようとを提案します。
その上で、楽しいかどうかを決定します。


このようなやり方は、学習場面でも活用します。
まず、問に対するそれぞれの考えを出し合って見えるようにして並べます。
そうして、話し合いに入ります。
その時に、同じ意見になろうとする姿勢を指摘します。
そうではなく、友達と違うということを大切にする話し合いにします。


「ぼくの考えは、Aさんとは少し違うけど・・・」という発言が多くでるようにします。
そして、その違いを話し合いによって、少しでも差をとるようにします。


和を求めて違いを出し合うのです。
違いを重ねあうことで和に至るようにします。


そうすることで、学ぶこと、話し合うことが違いを求めることであると気づけるようにします。
そこには、いつも全員の願いや考えをまな板の上に出し合うようにします。
全員で調理してその結果を大切にします。

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