教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 252回 学級づくりを見直す  学び合うのではなく 学ぶ学級へ

「学びあう」ではなく「学ぶ」です。
あくまで個人を主体としています。
「話し合う」「支えあう」「聞きあう」「学びあう」という言葉が、学校現場ではよく使われていますが、すべて人間相互関係を問題にしています。
しかし、話し合うためには一人ひとりに話す力をそぢてなければなりません。
支える力があって支え合うことができます。
学ぶ力があるから、友だちと学び合えます。
子どもと子どもの関係づくりは大切てすが、そのことが、独りの能力を育てることを軽くみていることがあります。
もちろん、学び合うなかで学ぶ力を自覚して、それぞれの子どもの学ぶ力が育っていくことはあります。
二人以上の学びを問題にしていますが、大切なことは、独り学びです。


一人ではなく「独り」です。孤独な一人です。ひとりぼっちの一人です。
誰にも頼らない、すぐに答えをだそうとしない学びの力です。


独りの学びをどうするか。
独りが主体的に学べるようにするにはどうすべきか。


学習環境の改善が必要です。
調べたいと思えば、すぐそばに(教室に)参考書があることです。
国語辞典(児童用、大人用)、漢字辞典、類語辞典、反対語辞典、四字熟語辞典、ことわざ辞典、語源辞典等の書物があればいいです。
直接使わなくても、毎日、子どもたちがその辞典を眺めることで、言葉を意識するようになります。


さらには、市販の学習参考書「自由自在」のような少し難しいものがいいです。
子どもたちの知りたいという気持ち、能力の上限を設けてはいけません。
学びは無限大です。
教室の掲示も同様です。
今の学習に関係のある資料、写真などを掲示します。
さらに、やがて学習する資料も掲示していきます。
子どもたちの意識、興味関心を広げることになります。
常に目を通して刺激を入れていきます。


知りたい、わかりたいと思ったときに、それに応えてくれる人がいるということは大切です。
その一番手が先生です。
子どもが知りたい、わかりたいと思ったとき、先生は、いつ、いかなるときも子どもたちの相談にのります。
廊下で出会っても、子どもたちから質問を受ければ、その場で対応します。


私は、このことについて小学生のころ苦い思い出があります。
6年生の時でした。
わからない算数の問題がありました。
少し難しい問題でしたので、担任の先生に教えてもらいに行きました。
先生は、「忙しいから今度にしてほしい」と言われました。
私はショックでした。
担任の先生は、わからないことがあったらいつでも来なさいよ」と常々言われていたので尋ねたのでした。


その時、たまたま通りかかった隣の先生に尋ねました。
あとで、私の担任の先生に呼ばれて、どうして他の先生に尋ねたんだ。あとで、と言ったでしょう。」と注意されました。
正直、その時から先生が嫌いになりました。


子どもの疑問にどのような場所であってもすぐに対応するようにしました。
これは、子どもたちとの信頼関係をつくるのに役に立ちました。


学べるように物的環境、人的環境が整っていると、子どもたちは学びやすくなります。学べる環境を整えます。
そして、授業です。これについては、あとで具体的にお話していくつもりです。

×

非ログインユーザーとして返信する