教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 238回 規則で子どもを管理 子どもが規則を作りだす

北条氏の時代の話だそうです。
町の人々が集まって、新しい禁令の高札を読んでいました。
すると、そこに通りがかった旅人が「北条氏の世も永くないな」とつぶやいたそうです。それを聞いた人が、その言葉の意味を聞きました。
昔に通りかかったときは、この高札にかかれた禁令は五条か六条であったが、今は、二十近くの禁令になっていました。
禁令を多くしないと治められないということは、幕府の力がそれだけ弱くなったことを意味するというのでした。


さて、現在の学校には、やたらに多く校則、規則があります。
すべての学校がそうではないですが、そもそも規則を多くしないと学校運営ができないということは、先生たちの愛情や力量が不足しているかもしれません。
これは少々、言い過ぎもしれませんがお許しください。


肩が痛い、腰が痛い、胃の調子が悪い、喉が痛いと医者に訴えると、そのたびに薬を処方してくれるところが多いようです。
一つの症状に一つの薬が付いてきます。
やがて、袋にいっぱいの薬をもらうことになります。


学校においてのことです。
給食中、話声がうるさいので「静かに食べよう」という学級の決まりをつくります。
授業中の手遊びについては「勉強中は手で遊ばない」というような決まりを作ります。
先生も子どもたちも、マイナス現象が出てくると、その症状を抑えるために規則を乱発します。


多くの学校には、「廊下を走らない」という規則があります。
廊下の長い道のりを見ると、走りたくもなります。
急ぎの用事もあります。人が少なければ小走りすることもあります。
私は、かつて自分の学校で廊下を走っていて事故がどれだけあったかを調べたことがあります。三年間で一つもありませんでした。
子ども同士が接触することはありました。


それよりも子どもたちがどうして走るのかを考えることのほうが大切だと考えました。
休憩時間に廊下に出て一週間、廊下の様子、特に、スピード違反がないかを調査したことがあります。
廊下を走って抜けようとした子どもを一時停止してもらい「急ぎの用事があるのかな?」と質問しました。
返ってきたのは、「早く遊びに行きたい」「おしっこ」「特に理由はない」などでした。
休憩時間が始まるときは急ぎますが、休憩時間が終わり教室に入ってくるときの廊下の移動は、きわめてゆっくりでした。子どもの気持が見えてきますね。
「おしっこでがまんできない」という子以外は、特に、急用はありませんでした。
特に気になったのは、先生も走っているのを見かけました。。
きっと、職員室からの呼び出しでしょう。


子どもたちと廊下を走る理由についてじっくりと話し合う必要があります。
子どもたちは、廊下の角を曲がるときは注意しているといいます。
マイナス事実が浮かび上がったとき、まず、その理由を出し合い、聞き合い、解決し合う姿勢を育てたいものです。
規則をつくることは必要です。
管理するための規則も必要ですが、子どもたちの総意によってつくられる規則も大事です。
それに至る過程、子どもたちとの対話を重ねることが大切だと考えます。

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