教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想237回 めあてから始まり めあてで終わる

授業の最初に子どもたちにめあてを提示したり考えさせたりします。
たとえば、「かけ算の筆算の仕方がわかり、計算できるようにしよう」というめあてをたてたとします。
学びのゴールを確認します。


ところが、このめあての把握が具体的ではないのです。
子どもたち一人ひとりによって、そのめあての受け取り方が違いますが、多くのの場合は、漠然ととらえているだけです。


「筆算の仕方がわかる」という場合において、「どのようにしてわかるのか」という問いかけが抜けています。学びの方法です。


聞いてわかる
教えてもらってわかる
一人で教科書を読んで、筆算の仕方がわかる。


まして、「できる」というめあてには、子どもたちによって受け取り方の差が大きいです。
一人で計算できる。
まちがえずにできる。
早くできる。
検算もできる。
その他いろいろです。


子どもたちに言います。
「あなたの目標はどこまでをめあてにしますか」
できるだけ具体的に書かせます。
特に、「どんなことを」「どのようにして」「どこまでわかる」のかを考えさせます。
そして、学習の最後に、最初考えた目標に到達しているかを確かめます。
そのときに必要なのは、どこまでできたらよしとするかです。


このように指導していくとできる子どもたちが言います。
ぼくは、塾でならっているから全部わかるしできるよと。
算数においては、この立場の子どもが必ず出てきます。


そこで、算数の得意な子どもには、練習問題の追加も考えられますが、そうではなく、さらに高い目標を持たせるようにします。
この筆算を学習するとき、どんなところがわからないか、できないか、まちがいやすいかを分析させます。
それをノートに書かせます。できれば、そのときの説明の仕方まで考えさせます。
彼は、生きに感じて前向きになります。
彼の予想が当たると喜びます。
実際に彼を前に出させて全員の前で説明させるようにします。
すると、自分でわかっていたつもりのことが、説明しているうちにわかり方が浅い、曖昧なことに気づくことがあります。


さらに、彼らには、問題をノートに作らせます。
ほかの子どもたちに提示する問題ですからはりきります。
採点は彼がします。


さて、話し合い学習においては、途中から話し合いの中心が曖昧になったり、違う方向に向かうことがあります。
そのようなときは、話し合いを一時中断します。
「今、どんなめあてをもって話し合っているのか、班で整理してごらん」と助言します。


そして、学習が終わりかけてきたとき、もう一度、自分が考えていためあてにたどりついているかを確認させます。


子どもたち一人ひとりのゴールは微妙に違います。
先生が決めたゴールに子どもたちを一律にたどり着くようにします。
子どもたちが「やった」「わかった」「できた」という心の底からの納得ができるようにします。日々の授業では難しい面もありますが、すべての授業ではなく、たった一時間の授業で実施することで子どもたちの目当てに対する視野が開けてきます。

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