教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 221回  問うことを学ぶ授業(実践を通して)

ヒントは答えを求めさせるだけではありません。
むしろ、考えさせるためのヒントを与えるべきだと考えます。
どのような時にどのような問いをだしたらいいのかということを大切にします。


物語文などを学ばせる場合、主人公の視点から読みとる学習が多いですが、主人公を取り巻く人物から主人公を眺めたときの彼の思い、どのように見えるのかを考えさせます。
観点や視点を変えて問いかけることです。
これは、第三者に心を寄せて考えることです。


子どもたちの考えをより具体化させるために、具体的に考えることができるようにするために、「たとえば、どういうことがあるのか」「たとえば、こういうことではないか」というように、抽象的な内容をより具体化して考えさせるようにします。
この場合は、先生の助言、発問が必要です。
社会科の学習においては、資料の数値を日常生活に引き寄せて具体的に考えることで、よりわかりやすくなります。



逆に、先生が具体例を与えて考えを進行させることもあります・
「こんな場合はどうかを考えてみよう」
「この場合は、みんなで考えてきたことがあてはまるのかな」
学習おいて最終的結論は一般化されてきますが、それだけで終わらせないようにします。
簡単なところでは、四則計算のきまり、交換の法則や結合のきまりなどを学習するときに、子どもたちが具体例をたくさん考えられるようにします。
ある一般化された決まりに対して、具体例を10こ以上ださせます。
20こでもいいのです。
具体例をあげて考える習慣を身につけさせるのがねらいです。
学びの姿勢を育てることがねらいですね。


「ほんとうにそうか」と疑って問いかけます。
結論に達したとき、
「ほんとうにそれでいいだろうか」
「ほんとうにそれだけでいいだろうか」
子どもたちが当たり前だと思っていることを、あえて意識化することで、子どもたちの問う力が育てます。


学習が概念だけでわかったというのではなく、概念からより具体的に学びを広げられるようにしたいものです。


しかし、子どもたちにとって問うことは難しいのです。
「こんなこと質問してもいいかな、恥ずかしくないのかな」と躊躇します。
質問すること、イコールわからない自分を集団に知らせるようなものです。
友だちから「あなたはそんなこともわからないのか」という批判をあびることもあります。(集団が未熟な時期において)
「わかりましたか」という先生の問いかけに「はい」と答えるのがよい子の学習になっている教室では、「先生、わからない、これはどういうことですか」など、言えません。


そこで、私が試みできたことは、「無記名による質問用紙」です。
小さな白紙を用意して、ことあるごとに、質問を書かせます。
もちろん、名前は書かせません。
そして、子どもたちの問いかけたことを全体に紹介します。
「そうか、あんなふうに問いかけたらいいのか」ということがわかるようにします。


学習の中で最終的に結論がでたときに用紙を配布します。
黒板には「それでも・・・」「こんな場合は・・・」など、問いかけのヒントを与えて、それぞれ自分の考えを書かせます。
慣れてくると、用紙に書かせることなく話し合いの中で表明できるようになります。


ちなみに、発表は音声だけでするものはありません。
文字言語を活用します。
ノートによる筆談、無記名による問いかけ用紙・・・。

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