教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 219回 授業者の手腕とは 子どもに身を委ねること

自宅の周辺の緑道は、紅葉であふれています。
人生の秋と紅葉を重ね合わせるところから、紅葉が人気なのだと聞いたことがあります。
しかし、紅葉は「秋の終わりですが、やがて来る春の始まり」ですね。
春に備えて体の中に栄養を蓄える時期でもあります。



研究会等で言われる授業者の評価をいくつかあげてみます。


説明の仕方が簡潔でわかりやすい。
指示が的確である。
話し方に変化があって子どもを引き入れる。
教材の研究が深い。
教材への導入が適切である。
小集団の活用の仕方が上手である。
テンポのある指導である など


先生は、子どもに教えるためにいろいろな技術を身につけます。
そのことは、必要なことですが、大切なことではないかもしれません。


先生の授業の腕と問われたら、もっとも大切なことは
「先生が子どもにわが身をゆだねる」ことです。


先生は自分で何を教えるか、どのように教えるか、内容と方法を明確にして授業にのぞみます。
しかし、実際の子どもたちは、先生の考えていたことなど無惨に跳ね返してしまいます。
先生の期待を裏切ります。
「先生、どうしてそうなるんだよ。」
「違う考え方もあるよ」
「どう考えても難しくてわからない」
さらには、国語などの物語文の学習になると、子どもたちの物語を眺める視点がさまざまです。
予期せぬ子どもたちの反応に先生はどきどきします。
参観日の時にその出来事がおきると、先生はどうしてよいかわからなくなります。


先生は、教材に対して、いろいろな視点、とくに、子どもたちがどのように学んでくるかということを研究します。
しかし、そうしても、実際の授業になると思わぬ出来事がおきるものです。
実は、この「思わぬこと」が授業者を成長させるものなのです。


予想しなかった出来事(学びの困難点)が起きた時、授業者の進路を変えないでまっすぐに進めることもできます。
「そういうこともあるね」「また、今度、勉強しようね」
「それもあるけど、こっちのほうが大切なんだよ」


反対に、その出来事に出会ったとき、
「そうか、どうしてあなたはそのように思うのかな」
「なるほど、先生と感じ方が違っているんだ、おもしろいなあ」
「そんな見方があったんだ。くわしく聞きたいけど」


子どもたちに身を委ねます。
子どもたちの考え方、学び方の中に身を任せていきます。
子どもたちの意見を聞きながら、自分の授業プランを修正をします。
子どもたちの学びに応じて、自由自在に修正できることこそ、授業者としての手腕ですね。


そのために、幅広い教材解釈が必要になります。
指導書だけの研究では不足です。
先に子どもの学びがあります。
その学びと教材をつなげて、どのように教えるかを考えます。
先に教材があって、どのように理解させるかではありません。
ただ、教材の学問的価値は把握しておきます。
教材をながめて、子どもたちが、何を、どのように理解できないかを考える必要があります。


授業者は、子どもの学びに耳を傾け、身をゆだねることができる柔軟性を必要とするのではないでしょうか。
身をゆだねるとは、授業者がもってきたものを捨てることです。
「これを教えたい」「このように指導したい」と考えてきたものを片隅に置くことです。

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