教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 213回 子どもの頭上を滑っている言葉

先日、次のような授業風景を目にしました。
3年生の鉄棒の授業です。
子どもたちがそれぞれ鉄棒に向かって、自分の技を練習しています。
それに対して、先生が声をかけられています。
上手にできた子どもに対して、叫ぶような声で「うまかった、うまかった、うまかった」と言葉をつなげていました。誰に対しても同じ大きさ、言葉でした。
子どもたちができたときに、評価されている気持ちはわかります。
しかし、私には、先生の言葉が子どもたちの中にしみこむことなく、頭の上を滑っているように思えてなりませんでした。


子どもはできたときの気もちはいろいろあります。
゜やったあ、先生どうだ」という子どもには、大きな声をかけることで、相手の子どものエネルギーを同じエネルキ゜―で返すことになります。子どもはうれしいです。
ところが「少しできたけど少し自信がないなあ」という子どもにはどうでしようか。
大きな声は、子どもにとって少しばかり圧力になりますね。
子どもの満足感と先生の大きな声との間にギャップができます。
子どもにとっては、少しはずかしいものです。みんなの前で大きく褒められることに躊躇します。
むしろ、そのような子どもには、そばに近寄って小さな声で「いいじゃない、前よりもよくなってきたね。やるじゃない」と言葉をかけたらどうでしょうか。
子どもたちは、他の友達を基準にして練習しています。
だから、先生に大げさに褒められてもそれほどうれしくないときがあります。


子どもたちの気持を無視して一律に(言葉、大きさ)声をかけることには細心の注意が必要です。
体育の指導は、全体に聞こえるように指導の言葉をかけることが多いですが、その言葉が他の子どもにもそのまま指導助言になる場合にかぎります。


しかし、その子どもの形成的評価を試みるとき、やはり、個別に静かに声をかけることが大切です。


これは課外活動の少年野球ヤサッカーの練習を見ているとわかります。
無意味な指導言葉が多すぎます。
「もっと動け」「何してるのや」「ボールを見て」「バットにあてろ」・・・・きりがありません。
子どもにとってはわかっていることです。でも、体がついていかないのです。
どうしたらついていけるようになるのか、時間が必要なのか、技能指導を細かくする必要があるのかを指導者は考える必要があります。
私は、サッカーも野球も少しだけしたことがありますが、指導できる力はありません。ただ、私が指導を受けてきた者の一人として、上のような言葉が気になったものです。

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