教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 205回 話す・聞くの指導(4) 笑顔でこたえる・おかしくても笑わない

笑顔でこたえる
友達に質問されたり、頼まれたりしたら、いやな顔をせずに笑顔で「いいよ」「わかった」「やってみよう」とこたえるられるとうれしいものです。 しかし、笑顔で返すということは難しいことですね。


笑う(笑顔もふくめて)という行為は、その場の雰囲気を明るく和やかにします。
さらに、人と人がつながりをもっていこうとする試みです。
「笑いのある家庭」「笑いのある教室」「笑いのある夫婦・親子」・・・笑いは人間関係の潤滑油です。
実は、私は、一日の記録の中に、「笑いがいくつあったか」という記録を残したことがあります。教室や授業で意図的に笑いをつくるようにしました。
指導案を作るときには、この「笑い」も入れるようにします。
ただし、教材内容で笑いが起こるようにします。
だじゃれではだめですね。


しかし、自分が常に笑顔で子どもの質問や依頼に対して笑顔で返してきたかというと疑問です。おそらくしかめっつらして子どもたちにこたえていたことでしょう。
地蔵様の表情、菩薩様の笑みを浮かべる表情がとても好きです。あんなふうに穏やかな笑みを浮かべたいと思って生きています。


特に、子どもたちが私に質問を投げかけてくるとき、どんな愚問でも、その子にとっては、真剣な質問ですから、言葉よりも笑顔で受け止めていくように心がけました。(実際にうまくできたかは疑問ですね)
 いずれにしても、「笑顔」で相手を受け止めていくことで、親密度は明らかに増していきます。



「おかしくても笑わない」先生方もよく子どもたちに言われることですね。
しかし、おかしければ笑ってしまいます。
問題は、どんなことに笑っているかということでしょうね。
そして、笑われた子どもがどのように受け止めているかが大切なことになってきます。


教室生活の中で、子どもたちが時を待たずに一斉に笑える教室はいいですね。たいていは、一部の子どもの笑い声しか聞こえてきません。これは、教室の中に差別や格差が生まれていることがあります。
子どもたちがお互いに親密度を増していけば、明るく一斉に笑うようになります。


そういう意味では、先生は、授業や生活の中で笑いがでたとき、何に対して笑ったのかに気配りする必要があります。
「なぜ笑ったのか」「どんなことがおかしかっのかな」という問いを子どもたちに向けます。特に、差別に関する笑いは、厳しく対応します。


学級の中に差別やいじめが発生していく過程で、この「笑い」を見過ごしていくことが原因になることがあります。
先生の指導の一貫性  これは、絶対曲げられない、譲れないことを子どもたちに明確に伝えることです。
子どもたちからすると、どんなことで先生は叱るのか、その規準をしっかりと子どもたちに伝えていきます。


笑いがある教室風景、みんなが同じように笑える教室
笑いも大切ですが、もっと大切なのは微笑み、表情の柔和さです。

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