教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 204回 話す・聞く指導(3) 簡単にうなずけない話し合いを

子どもたちの話し合い学習で「うなずく」ことを求めた授業をいくつか目にしてきました。
私が最も印象的だったのは、話し手が話していると「うん」「うん」・・・と声に出して聞き手がうなずいている様子でした。子どもたちは、本当に了解して「うん」と言っているのか、きわめて疑わしかったからです。
さらに、話の合間に「うん」「うん」と言われると、正直、教室がうるさかったですね。
指導の先生は、子どもたちがしっかりと反応しているところ、聞いているところを参観してほしかったようです。


「うなずく」というのは、「承知した、その通りだの意を表すために首を縦に振る」(新明解国語辞典より)ことです。
したがって、うなずいている子どもたちは、本当に納得してうなずいているのか怪しくなってきます。
先生は「聞き手として、聞いていますよというサインを話し手に送りなさい」という指示をだしていると考えられます。自然に子どもから発生してきた行動、所作は、全員が一斉にうなずくことはありません。


うなずく反応は、子どもによってさまざまです。
「そうなんだ」「やっぱり」「いっしょだ」などの言葉でうなずく子ども。
首を動かして、了解している子ども。
目立つような言動は一切ないが、まなざしで反応している子ども。
聞き手の反応は、それぞれの子どもによって違います。


さらに、話し手の話の内容に同意するとは限りません。
違うなと思う反応がありません。
首を縦にふっているが、横に傾ける子どもはいません。


しかしながら、話し手にとって、自分の意見を聞いてもらえているという安心感はほしいものです。「ぼくは、あなたの話をしっかり聞いているよ」というサインを話し手に伝えることで、話し手はいっそう話しやすくなります。


 もし、言葉で反応するならば「そうだ」「えっ、ちがうのでは」「そうかなあ」という言葉があってもいいでしょう。
ただ、話しているときに、あまり言葉を挟まれると、話し手は、話が遮られるように感じるものです。


さて、話し手にとって、話しやすい環境づくりとして「うなずき」をあげました。
子どもたちの指導法のヒントは、必ず、目の前の子どもたちの事実の中にあります。ノート指導のヒントが、優秀なノートの中にあるように、うなずきもよく聞いている子どもたちの反応の仕方にあります。


その中のいくつかを出してみます。
もっとも多いのは、話し手の目を見て聞いている子どもです。
話し手の言葉だけでなく、まなざしからくる情報も得ようとしています。
話し手にとっては、わかりやすい聞き手の姿です。


次に多いのは、体、特に首の動きによるうなずきです。黙って、首を動かしています。おかしいと思うときは、首を傾けたり、その動きを止めたりします。中には、時折、声を出して反応している子どももいます。
それぞれの子どものスタイルがあります。
それを半ば強制的に聞き手にうなずかせても無理があります。
大人の世界でもありえないことを指導しようとするのが学校です。


そこで、考えるのは、話し手にとって、聞き手がどのようにして聞いてくれたら話しやすいか、うれしいかという点について、子どもと一緒に話し合います。 これは大切なことですが、たとえ、教育指導の参考書にのっている指導法であっても、目の前の子どもたちと相談することは必要です。
指導法は、子どもたちから生まれ、子どもたちの手によって発展させるほうが、子どもたちにとってなじみやすいです。


聞いているというサイン・・体や目で聞いてもらっているとうれしい、安心する。
首を使ったうなずきで自分の気持ちを話し手に伝えてもいいです。


子どもたちと話し合っていくと、いろいろな動きを認めていこう、一律である必要はないということに気づいていきます。
だから、「うんうん」と声を出してもいいのです。ただし、それは、ちょっとひつこい、うるさいよという意見がでるような雰囲気にしておく必要があります。


強制されたものは、友だちがするから自分だけしないわけにはいかないという事情がでてきます。集団指導の弱点ですね。

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