教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 194回  合唱の指揮は 子どもと共振すること

先生が指揮台に上がります。
子どもたちは声をだしていません。口も閉じています。
しかし、まなざしは揺れています。
観客に気を奪われ、そこに親を探しているまなざし。
体育館のあちこちに散っているまなざし。
音楽以外のことを考えているまなざし。
緊張感で真っ白な心。


指揮者は、声さえでなければ、指揮を始めてしまいます。
音楽が始まるやいなや、音楽に乗り遅れた子どもたちの続出です。


まなざしをしっかりと指揮者に集めます。
指揮者は全員の子どもと一人ずつアイコンタクトをします。
低学年ほどしっかりとコンタクトします。
その間、1分間の時間を必要とします。


まなざしで会話します。
ふだんから声だけで指導するのではなく、まなざしを使って子どもたちに語れるようにしておきます。
「いいね」「もう少しだよ」「どうしたの、今日は元気がないよ」
小学生相手の指揮は、特に、合唱においては、心に働きかけて心を動かします。
それが指揮の振りに表れるようにします。
もちろん、リズムを崩しやすいところは、しっかりとテンポを刻みます。
それ以外は、歌詞を表現するための指揮です。


私は、合唱の指揮が好きでした。
子どもたちには、歌詞、詩としての授業から入ります。
学年授業になることもあります。
詩をどのように解釈して、それを共有するかが大切になってきます。
解釈できたら、どこが盛り上がり、クライマックスなのかを話し合います。
表現の共有、感動の共有です


詩を暗唱させます。
そこからメロディをつけて歌の練習をします。
通し練習も大切ですが、詩の表現の区切りごとに指導していきます。


歌の最初は、声も体もまなざしも沈黙しています。
しかし,想いは沈黙の中でかすかに動いています。


よくあることですが、先生の指揮が子どもたちの沈黙がなくてもスタートしてしまっていることです。
小学生の指揮は、リズムをとるだけではだめです。


子どもたちの気持ちを体の内から外に引き出すことが大切です。


ふだんの練習から、指揮のもつ意味を子どもたちと共有しあっていることですね。先生の振り方はすべて意味があることを理解させます。
先生の指揮は、子どもの上達とともに変化します。


付け足しですが、練習の時は指揮台の位置を必要に応じて移動させます。
体育館の一番後ろに移動させることで、子どもたちは声をその位置に届けようとします。声が届くようになってきたら、指揮台を少しずつ前に移動します。


指揮は先生が楽しむことです。
曲を先生の体にしみこませておくことですね。

×

非ログインユーザーとして返信する