教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 195回 学級崩壊にあった先生に出会って

多くの学級崩壊を目の当たりにしてきました。
崩壊に出会った先生に共通するのは、とてもまじめな先生でした。
中には、すばらしい発想と実績を重ねておられる先生もおられました。
にもかかわらず、突然、学級が崩れ出しました。


私は、どうしてそうなったのか最初は不思議でした。
しかし、その学級の様子を見守るうちにあることに気づきました。
先生と子どもとの思い、願うものが少しずつずれてきていました。


先生という仕事は、何年も学級を担任しているうちに、少しずつ子どもの指導に自信を持ち始めます。
「私のやり方でいいのだ、うまく子どもたちはついてくるのだ」という自信が少しずつ確信に近づいてきます。過去の成功体験(?)が背中に張り付いてしまって、目の前の子どもへの自信になっていました。


そのような時に先生は大きな落とし穴に落ちることがあります。
子どもたちの実態よりも先生自身の理想が先行するからです。
子どもたちが変容しないと、先生の指導のあり方を問題にするのではなく、今年の子どもがだめなんだというように考えます。


余りにも理想の学級を性急に求めすぎているように思われます。
短期間で子どもを自分の思うところに乗せようとされます。
今までの実績があると、どうしてもそうならさせるえないものがあります。
子どもたちは、自分たちの実情を理解してもらえないことに少しずつ嫌悪感を覚えるようになります。
「先生の話すことはいつも同じだ」「ぼくたちの意見をあまり聞いてくれない」という不満がでてきます。


先生が何年も実践してうまくいくことが多くなる(思いこみだけか)と、自分のペースを優先させることがあります。
少しずつ子どもたちから離れていることに気づかなくなります。
先生は、目の前の子どもたちによって自信をもらいますが、それ以上に、自分の修正を余儀なくされることがあります。


逆に若い先生は、子どもたちの思いを聞き過ぎて、その思いに振り回されることが多くなります。
やがて、学級集団がまとまりをなくしてきます。
言いたいこと、やりたいことが優先されるからです。


3年生を担任したとします。
1学期は、2年生に近い3年生として指導します。
3年生になるための準備期間だと考えます。
2学期に3年生としての学力、学び方身につけさせます。
そして、3学期は、高学年として4年生に進級するための準備をします。
学び方のグレードアップです。
グレードアップというと少し大げさですが、要するに、自学自習の時間の割合をあげていきます。
教えてもらうことから学び取る学習の時間を増やしていきます。


教育の実践は子どもに寄り添っていることが大切です。
先生の理想や願いが先走りしないことですね。 
わかってはいるけど難しいところがあります。
先走りすることはあります。
ただ、そうなっていることに気づけばいいのです。
傲慢になることは多々あります。
ただ、そうなっていることに気づくことが大切だと思います。

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