教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 191回  両手の心で

坂村 真民さんの言葉です。


両手を合わせる 両手で握る
両手で支える 両手で受ける
両手の愛 両手の情け
両手合わせたら けんかもできまい
両手にもったら こわれもしない
一切衆生を 両手に抱け


自然学校などの宿泊訓練のときです。
ご飯を給仕の人に入れてもらって受け取るとき、子どもたちの多くは片手で受けとります。
誰かにプレゼントをいただくときは、自然に両手で受け取るでしょう。
賞状をいただくとき、両手で受け取ります。
両手は感謝の心を表しています。


子どもたちに(私たち大人も含めて)みにつけてほしいことは次の二つです。
「ありがとう」の感謝の心。


日常生活で一番多く使うのがこの言葉かもしれません。
学校においても一番この言葉を使うのが先生です。
何かをしてもらうことは奇跡です。
当たり前ではありません。
それに対する感謝の心が「ありがとう」です。
「ありがとう」という言葉は、相手から言われたらうれしいですね。
子どもたちにも「ありがとう」という言葉(感謝の気持ちを込めて)を多く使いたいものです。
そのためには、私たち大人が身近な家庭において「ありがとう」という言葉を自然に使えるようにしたいです。


「ごめんなさい」お詫びする言葉です。


過ちに気づいたら、すぐに素直に謝ることができる子どもたちです。
大人が日常生活の中で、率先して使えば子どもたちは自然と使えるようになります。
これをヘッドシップといいます。子どもたちに身につけさせたいことを先頭にたって大人が実践してみせることです。
大人がしないことを子どもがすることはありません。
しかしながら、つい「ごめんなさい」と謝れないことがあります。
情けない自分に出会います。
そう反省することの繰り返しです。



「ありがとう」「ごめんなさい」は、私たちの人間関係、子どもとの関係を円滑にします。
ところが、子どもたちと親との様子を見ていると親が「謝りなさい」という言葉を要求しすぎるようです。
 子どもは言います。
「あやまったらいいのでしょ」「あやまったじゃないか」
という言葉だけが返ってきます。


言葉で求めたものは言葉だけで返ってきます。
言葉から心が離れて、言葉という音だけが頭上を飛び交っています。


ここまでは、だれもが承知していることですね。
私が伝えたいことは、この後のことです。
先生が学級において、どれだけ自分の心を両手を通して表しているかです。


「先生、先生のハンカチが落ちているよ」と言って拾ってくれた子どもに先生は両手で受け取ることの意味は。
給食のとき、子どもたちが、先生の食事を届けてきてくれたお盆を「ありがとう」と声をかけて両手受け取ることの意味は。
先生が子どもたちが持ってきてくれたものに対して、片手で受け取ることも多いです。状況によっては、そちらのほうが多いですね。
だからこそ、両手で受け取ったときの意味合いが子どもに伝わります。


逆に先生が子ともがたちに物を手渡すとき、どんな時に両手を使われるでしょうか。
私は、あゆみや賞状を手渡すときは必ず両手でした。
他に感謝の気持を伝えたいとき、「ありがとう」と言葉を添えて両手を使って手渡します。


両手の心 右手と左手で相手を抱きしめる心
両手のやさしさ 両手感謝。

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