教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想183回 「ごんぎつね」と私 物語文の教材研究とその指導8回

5場面 
「おれは引き合わないなあ」と思うごん

「ごんぎつね」の作品のクライマックスは、最後の6場面、ごんの死のところとされています。私にとっては、(あくまで私の思いとして)ぢかぅように思います。
ごんの行動の事実としては、「うたれる」という事実はクライマックスですが、ごんにとっての心のクライマックスは、この5場面だと考えます。
「引き合わない」と考えたごんこそ、彼の葛藤の最大の山場です。
ですから、私は、いつも対外的な公開授業では、この場面を取り扱います。
私は、この場面のごんが好きです。
あまりにも人間的であり、わたしと似ているからです。



教材の研究
ごんの行為は、神様のめぐみになってしまった。
「神様にお礼をいうがいいよ」


違う、ぼくだよ。ぼくにお礼を言ってよ。
自分の行為を認めてほしいという思いが強くなる。
それだけでなく、「引き合わない」と、不満をもつようになる。
どうしてもわかってほしいという願いが強くなる。
これが、最後の悲劇を生むことになる。


神様のせいでもいいはずである。
兵十が喜んでくれさえすればいいはずである。
だれが持ってきたかはどうでもいいばずである。
償いとはそういうものである。


しかし、ごんは、欲がでてしまった。
それさえなければ、ごんは死ななかったはずである。
それでも、ごんは、兵十に自分の償いをわかってほしかったのだろう。


「兵十のかげぼうしをふみふみ行きました」
この場面の兵十とごんの距離。
ごんにとっては、命がけの距離。
それでも、兵十の声を聞きたいという結果の表われ。
ここに、兵十に対するごんの気持ちがしっかりと表れている。
愛おしさを感じるごんである。
その裏には「同じひとりぼっち」という気持ちが ごんを兵十に接近させているのだろう。
兵十に強い親近感を感じていたのだろう。
ここで、ごんも償いをあきらめておけばよかったのに、次の日もくりをもっていくことになった。
兵十への親しみと償いへの思いが悲劇の道を歩ませることになる。


指導にあたって
5場面
4の場面の続きとして兵十と加助の会話を読み味わう。
その中で、「きっと」「えっ」「そうかなあ」「うん」この一連の言葉を手がかりに、自信の有無。うそだと思っている。「そうかなあ」と「そうか」の比較検討。


4と5の場面では、同じ場面ではあるが
4の場面の終わり・・・「おきょうを読む声が聞こえました。」から5場面の「ごんは、お念仏がすむまで、いどのぞにしゃがんでいました」この両者の叙述を割愛して、2,3時間もいじらしく待ち続けるごんを想わせていく場面の区切り方を知り、その空白を読者にゆだねている作者の見事な演出を利用したい。
 その手法は、5の場面の終わり「・・・おれはひきあわないなあ」と6の場面のはじめの「そのあくる日も」にもつかわれているこれを利用して子どもたちの想像力を養う学習にしていきたい。


○  兵十にわかってほしいためにしている償いの行動が、「神様のしわざ」に置き換えられている悲しさ、くやしさを読み取る。
○ わかってほしいという気持ちは、兵十たちの後を危険を冒してついていくごんの行動に表れている。
○ 「おれは引き合わない」というごんの気持ちを読み取る場面は。心のクライマックスになっている。(行動のクライマックスは6場面であるが)
○ 今日の学習は、考えることが多いので、子どもたちが自分の考えを深めていけるような手立てが必要である。
○ 学習の中心に入っていくまでのステップをていねいにしていく。


◎学習のステップ
Step1  いどのそばにしゃがみこんでいたごんの気持ち(再確認)
Step2  兵十のかげをふみふみついていくごんの気持ち
Step3  神様にお礼を言うのでは引き合わないと思ったごんの気持ち



指導の流れ


「おれは引き合わないなあ」と思ったごんの気持ちを読みとろう。
いどのそばにしゃがんでいました。


おきょうを読む声が聞こえてきました。
ごんは、お念仏がすむまで、いどのそばにしゃがんでいました。
兵十のかげぼうしをふみふみ行きました。


どのくらいごんはしゃがんでいたのか。
長い時間、しゃがんでいる間、ごんはどんなことを考えていたのか。


①ノートに自分の考えを書く。
②全体で発表して話し合う。


兵十のかげをふみふみしている時のごんの気持ちを想像しよう。


※かげをふんだということはどういうことかを考える。
・危険である。
・つかまるかもしれない。
・危険をおかしてでも聞きたい。
※ごんの一途な姿勢を読みとらせたい。そこまでして聞きたいのだということ。


子どもたちがごんに寄り添って自由に考えられる場面である。
づくないをしているのは、「ぼくだよ」と知ってほしいという気持ちが高まっていることに気付かせる。
「おれは引き合わないなあ」という時のごんの気持ちを考えよう。
引き合うとは
つりあう  やったかいがある


※ノート思考⇒話し合い
ぼくがこんなに努力したのに
・どうしてわかってもらえないのか
・神様にしてしまったらぼくはどうなるの
・せめて、他の人間のしわざにしてよ。
 それならばいつかはわかるかもしれないという期待をもてる。
・しかし、神様にしてしまったら、永遠にぼくだとわからなくなるよ。
・いつかはわかってほしいという気持がある
・明日からどうしょうかな、もう、持っていくのはやめようかな
・いやいや、こうなったらわかってもらえるまでやるしかないぞ


なぜ神様のしわざではだめなのかを考えさせる
ごんは、兵十がどのように言ってくれたら引き合うと考えたのか。
引き合う  何と何ならひきあうのかを考える。
 ごんがくりを持って行ったことと 兵十がだれかが自分のためにしてくれている。
 ごんがくりを持って行ったことと 兵十がだれかが優しくしてくれている
 ごんがくりを持って行ったことと 兵十がもしかしてごんかもしれない
 ごんは、「引き合わない」と考考えときたに、いろいろな葛藤があったのだろう。
       
※ごんへの手紙

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