教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 171回  子どもは 教えた以外のことを学ぶ

「今、説明したでしょ」「何回も教えてきたでしょ」「何回、教えたらわかるのよ」
子どもたちは、その先生の姿、威圧的な姿、言葉をまねるようになります。友達に話す言葉「今、言ったのに聞いていなかったのか」と、友達を責めます。


修学旅行で水族館の見学をした時のことです。
ある都会の小学6年生が、水族館の中をソフトクリームを食べながら歩いています。私は、あまり好ましく思わなかったのですが、子どもたちの後ろから、引率の先生が歩いてこられて、その先生もクリームを食べながら歩いておられました。
そして、その先生の口から発せられた言葉「魚をよく見ておきなさいよ」と指示しておられていました。
子どもたちが学んだものは、先生の姿でした。




子どもたちは、先生が正面きって指導したことは、聞き流していることがあります。しかし、先生の後ろ姿は、よく学んでいます。


先生の服装です。だらしなく着用していると、子どもたちもいつのまにか同じような服装になっていることがあります。特に、子どもが先生を好いている子どもは、先生のすべてをまねてしまうことがあります。


私は、廊下を歩く子どもたちが、どの学級の子どもたちかすぐにわかりました。
その先生の歩き方に似てくるからです。
子どもたちの振る舞いは先生、もしくは親の振る舞いです。


先生がなにげないしぐさのなかで、子どもたちを差別しているとき、子どもたちも、その友達に対して差別的に接していることがあります。
子どもたちは、先生の後ろ姿を見ています。
子どもたちを指導する姿、掃除をする姿、ノートに文字を書く姿勢、本を読む姿勢など、思わぬところで、先生を取り込んでいるものです。


板書の文字はていねいに書くことを心掛けてきました。
上手な字ではありませんが、ていねいに書くことで「ていねいさ」を子どもたちの体に浸透させようと思ってきました。


先生が日々、学校の中でどのように生きているか、それがもっとも大切なことのようです。


先日、30代の主婦になった教え子が突然やってきました。
20年ぶりの再会でした。
そのときに彼女の口から出た言葉です。
「先生がなにをしたかは覚えていないです。でも、どんな先生だったか、いつでも一生懸命に関わってくれたということだけが私の中に入っていますよ」
私は、それを聞いてなんとなく気恥ずかしくなり

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