教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 151回 ひっかかりと迷いの能力の育成

前回、学級経営案の略案を提示させていただきました。
具体的な取り組みだけで詳細は書いていません。
ですから、具体的なイメージがわかないと思います。
実は、この具体案の一つ一つを取り上げるために(すでに、取り上げているものもありますが)最初にアウトラインのみを提示しました。
回を追って、具体的にお話していくことを書き忘れていました。
申し訳ありません。
これから、経営案に沿って具体的にお話します。


今回は「ひっかかりと迷いの能力の育成」です。
子どもたちは、学びの中で、「なぜかな」という立ち止まりをしません。嫌がる子どももいます。
私は、基礎学力の一つとして「ひっかかる力」を入れています。
なんとなく話を聞く、なんとなく言葉を追っている、なんとなく活動していることが多いなかで、「どうして」「待てよ」「ぢかうのでは」という立ち止まり、ひっかかる子どもにしたいと考えていました。


以前に書きましたが、疑問からの出発もその一つとして大切なことです。
植物を観察していてもなんとなく見るのではなく、ピントを合わせるように観ることも必要になります。
話を聞いて、「先生、どういうことですか」という質問がでるようにしなければなりません。そのためには、わかりにくく話す(ていねいすぎると子どもは立ち止まりません)ことも必要です。


明日の校外学習の連絡をするとします。
持ち物は、弁当と水筒、少しのおやつ、メモ帳をもってくるように。
簡単に話すと、子どもたちから質問がでます。
おやつはどのくらいもっていけばよいですか。
どんな服装がいいですか。
メモ帳はどんなものを用意したらいいですか。
その他いろいろな質問がありますが、これがひっかかりなのです。
簡単に納得しないことです。


話が終わったあと、「どんなことがわかったのかな」と聞き返します。聞き返すことで、聞き手として「ひっかかり」をもっていないことがわかってきます。
子どもたちが簡単に納得、わかったら、問い返します。そして、わかっていない、立ち止まりがないことを意識させます。


迷う能力


これは、有名な数学者が、数学の勉強の意味は「迷う能力を育てることだ」と言われたことがあります。
学びの中で、〇か✖か、右か左かの二者択一の考え方になっています。
結論を得たならば「本当にこれでいいかな」と問い返す習慣を身につけさせます。
数学を勉強していると、答えが明らかなるときもにいいですが、あれこれと迷っているときもたのしいものです。しかし、人間は、迷うと苦しいので子どもたちは「早く答えを言ってよ」せがむことがあります。
静かに子どもたちを突き放します。
子どもの実態に合わせてヒントを入れます。


子どもたちは、独り学習(だれにも頼らない)を徹底させるのは、しっかりと迷わせることがねらいです。学習の依頼心とは真逆のことが展開されます。
もちろん、子どもによって能力差や今までの学習習慣がありますので、迷いの中にいる時間を調節、加減することになりますね。それが個別指導です。


授業の終了時、いつも結論をだして終わりますが、わからないことをわからないまま持ち越していくことも必要です。生きることは、わからないことを持ち続けることだからです。
「わかったこと」「わからないこと」「なんとなくわかったこと」「ぼんやりしていること」などを区別する必要があります。


そのための一つの方法として
次回は「わかる わからないの ものさしづくり」と
「ねらいと見通し力の育成」についてお話します。

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