教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 148回 理科の学習(5)科学から遠ざかる 結論ありきの実験


実験は理科の学習において、大切だとわかっていても先生にとっては、その準備が面倒だと思うことがあります。
そして、実験の時間がなくなると、むこれは、教科書で結果がこうなるから覚えておきなさいという指示をだされることがあります。
知識の押し込みです。
これが理科嫌いの子どもをつくることになります。


従順な子どもは、試験にでるから覚えておこうという意識で暗記します。
しかし、自分で考える子どもは、自分の無納得しないことに対しては、はねのけようとします。
実験は、子どもたち一人ひとりが納得するものであり、納得させるものでもあります。


教室で行われている実験は、ただやってみる、結論ありきの実験をさせていることがあります。もちろん、まじめな先生はその限りではありません。
先生が子どもたちに一つの現象を見せるために実験をしています。
さらに、子どもたちの手によって実験をさせて、あたかも、子どもたちが真理を探究しているかのような錯覚をもたせることもあります。
子どもたちが班に分かれて実験すると、必ず、その結果に違いが表れます。でも、先生は、「本当は、教科書のようになるからね」と念を押します。
子どもたちにとって、実験は、普段使わない器具を使っているので珍しいだけです。器具を使うことに興味関心があるだけで、自分の疑問を解決しようという意欲は薄いです。


実験は、あることを明らかにするために、ある結果を予想して、目的をもって実際に確かめることです。
ですから、先生がいくら実験をしたつもりになっても、子どもたちが何を明らかにするためにそのような器具を使って実験しなければならないのかという理解をもたなければ意味がありません。


さらに、実験の活動を取り入れる難しさがあります。
先生は実験結果を知っていますが、子どもたちは知らないことです。
結果を知っている先生は、結果を知らない子どもたちの立場で学びを考えることが難しいのです。


この難しさを克服させるための一つの方法として試してきたことがあります。
それは、子どもたちに実験計画を立てさせることです。
まず、教科書を見ないでたててみることです。
自分の疑問、探究したいことをどのような実験をして、「なるほど」「やっぱりそうだ」「あれ、予想とちがうなあ」とつぶやきながら、明らかにしていきます。そして、自分の予想と一致、不一致したときの意味しっかりと考えさせます。


このようにして、子どもたちが自分なりに仮説をたてて検証していきたいとき、どうしても自分だけの実験器具が必要になります。
私は、6年生の理科(化学実験)は、一人実験を基本としました。
子どもたちが自分なりの仮説を持ちはじめると、自分で確かめたくなります。班実験では、限界があります。
しかし、子どもによって実験操作に技術差がありますので、班実験の中で一人ひとりが自分の実験器具で実験できるようにしました。
わからないことをお互いにサポートできるような場をつくりました。
一人実験の過程、結果をお互いに共有できるようにしました。


反対に、厳密な結果を出すのが子どもたちでは無理な場合は、師範実験をしました。師範実験をしっかりできなければ、子どもに実験を任せることはできません。

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